<FITヴァレリー・スティール氏のメッセージ: 「FIT特別セミナー」から―その3 >

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Japan Fashion Now(日本ファッションのいま)と題した画期的な展覧会が2010年秋から11年にかけて、ニューヨークのFITファッション美術館で開かれました。好評のため3カ月期間を延長し、6万5000人(ウェブも含めれば10万人)が訪れたイベントです。この展覧会を企画・開催したのが、この美術館のチーフ・ディレクター、ヴァレリー・スティール氏。「FIT特別セミナー」の3人目の講師です。

テーマは「外国人が見る日本ファッションの誇るべき強み―そのマーケティング方法は」。多くの画像を見せながらの講演は、日本の文化とファッションの素晴らしさについての、胸がときめくようなプレゼンテーションと提言でした。

「日本は、世界でもファッションの感覚を早くから持っていた国。平安時代にすでに、紫式部や清少納言が、“いまめかし”(up-to-date)という表現を褒め言葉として使っていました」で始まった日本ファッションの歴史のレビューは、その後の「わび・さび」(質素で渋い)、江戸時代の「粋(いき)」(高度に洗練された目利きの世界connoisseurship)へと進化し、さらに明治時代の鹿鳴館に象徴される西洋化につながっていく日本文化の感性を端的に解説する含蓄あるものでした。19世紀末には、日本美術が世界に大きな影響を与えたジャポニズムもありました。

第二次大戦後の、クリスチャン・ディオールのニュールックと伝統的な着物姿がオケージョンにより共存している日本特有の写真も印象的でした。若者の間には「カミナリ族」からアイビールックに至る新しいファッションも流行。そして1980年代のJapanese Fashion Revolution(日本人による「ファッション革命」)へと発展してゆきます。川久保玲、山本耀司、三宅一生などの日本人デザイナーが世界に与えた衝撃は、「最も過激で強烈なファッション運動」になり、世界のファッションの流れを変えたのです。日本はファッション分野で世界に影響を与えた「西洋以外では唯一の国」になりました。

1980年代の日本は、ファッションだけでなく、ウォークマンや寿司、ビデオゲームなどで世界を席巻しました。その後、バブル崩壊を含むほぼ20年の経済低迷の期間も、日本のデザイナーは創造的活動を続けましたが、世界の注目はもはや日本ファッションから離れていました。しかしその間に、舞台裏ではクリエイティブな動きが花開き、そして間もなく日本のポップ・カルチャーが世界を席巻し始めました。つまり世界中で若者がマンガを読み、アニメを見、ビデオゲームに興じるようになったのです。

Japan Fashion Now 展の内容とスティール氏のメッセージについての詳細は次回に譲りますが、歴史を振り返る中で特に新鮮だったのは、日本の洋装化が「植民地化」によるものでは無かったことを強調されたことです。「日本のエリートは、戦略として西洋の服装の主要な要素(Key Component)を取り入れることで、独立を維持した。この事により、日本の西洋ファッションとの関係はユニークなのです」のスティール氏の言葉は、私達が見過ごしている日本文化の独自性と、時代を超えてそれを大事にしてきた日本人の誇りを、再認識させてくれました。

エール大学の博士号をもち、主要メディアが「ファッション・プロフェッサー」あるいは「ハイヒールを履いた歴史家」などと呼ぶスティール氏は、ファッションを美と歴史と文化の視点から深く洞察する、まさに世界的なファッション・キューレイターです。その日本ファッションへの深い理解と愛着は、多くの受講者に深い感銘を与えたようでした。