横浜港から、ドラの音、はためく色とりどりのテープに送られて出航する氷川丸。その船べりに、米国留学に旅発つ女子高校生の、尾原蓉子がいました。当時16歳の高校2年生。AFS高校交換学生プログラムの2期生として、文部省の4次にわたる試験をクリアした28名の高校生の一人でした。(写真は中央で手を振っている筆者)
海外留学の中でも、高校時代の留学は、特別の意味があります。なぜなら高校留学は、専門的勉強などの目的を持った大学留学とは異なり、まだ完全な大人になったとは言えない多感な青春期、とくに人間形成の重要な時期に、全く異なる風土や文化、人種や生活慣習の中に飛び込んで、ストラグル(もがき苦闘)しながら、新たな環境に適応し、自分の居場所と自分の考え方を作って行くという、またとない機会になるからです。大学時代の留学は、「ほぼ大人」に成長して、自分なりの価値基準や評価の尺度を持っている場合も多いことから、留学先の新たな環境を批判的に見る事が出来る、という利点もありますが、逆にいえば、異国の環境や文化、人付き合いを、“素直に”受け入れる事を阻む先入観を持って見てしまう、という危険もあるのです。
私が高校留学で得た最大の収穫は、『自立』 と 『人と違う事はよい事』でした。 『自立』の衝撃的体験は、横浜港を離れて2時間足らずで私を襲いました。
私は1955年8月28日、3時30分に出航した氷川丸の左舷に立って、家族や友人と繋いでいたテープを握りしめ、テープが切れてしまった後も感慨にふけりながら、だんだん小さくなってゆく横浜の港を、そして長く連なる日本の山々が遠のいてゆくのを、見ていました。
やがて、日本列島が小さな点になり、ついに水平線のかなたに消えた瞬間でした。電撃のような衝撃が身体を走りました。「ああ、もう日本とのつながりは無い。これからは、すべて自分で考え判断をして生活しなければならない」という恐怖心とも言うべき衝撃でした。と同時に、足元からなんとも表現できないエネルギーが湧き上がってくるのを感じたのです。「よし、やるんだ。やるしかない。やってやるぞ」といった力でした。この瞬間のことは、今思い出しても背中がピリピリ感じるほどです。
これは私のささやかな体験ですが、若い時に「一皮むけた」「自立した」と感じたのが海外留学での体験だったという人は、非常に多いのです。日本に居れば、両親や先生、上司や先輩からアドバイスを得ることも、「こういう場合にはこうすればよい」といった慣習やマニュアルに頼ることもできます。しかし外国では、自分で考え、情報を集め、判断や決断を下さねばならない事が、日常的に起こります。これは一個の人間としても必要な能力ですが、特に今後求められるグローバル人材としては、不可欠な要件と言えます。
米国の高校生がもう大人であり、また大人扱いを受け、自分の意見をはっきりという事にも、驚きました。彼らは強烈に自立を求め、その分彼らは自分の言動に責任を取るのです。
先月、恒例で年一回開かれるAFS2期生のリユニオン(同窓会)に16名が集まった時、そのメンバーに、「あなたの最大の収穫は、何でしたか?」と聞いてみました。返答のいくつかを上げると、
*自立出来た事。日本のしがらみから自由になって、自分のしたい事を追求していいのだと感じた事
*世界視点を持つ事が出来たこと (アメリカの世界地図では 米国が真ん中にあり、日本は端のほうに小さくしか描かれていない事にも衝撃を受けた)
*人間はみな同じ。 肌の色も、言葉も、文化や生活習慣は違っても、同じように人間としての人生を生きている。 劣等感がなくなった。 でした。
日本人が最近消極的になっている「留学」の意義について、改めて考えてみて下さい。
(『人と違う事はよい事』については、次回に)