「Different は ほめ言葉」 <キャリアづくりと留学ーその3>

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AFS交換学生として、同じ16歳の女子高校生が居る家庭にお世話になった1年間で得た最大の収穫が、『自立』 と 『人と違う事はよい事』であったこと、また前者の『自立』については、先回述べました。
高校留学を私が体験したのは、米国ミネソタ州のマンケイトという中都市でした。
何しろ、敗戦後10年の1955年。「もはや戦後ではない」の掛け声はかかっていたものの、まだまだ日本の生活は貧しかったので、米国の物質的豊かさと、人々がのびのびと生活を楽しんでいる姿に圧倒されました。とくに、女性が仕事を持って生き生きと働いている事や、子供も家事の手伝いやベビーシッター等のアルバイトをする事が当たり前という考え方、また「高校生はもう大人」という扱いには、目から鱗の思いがしました。

Different=人と違う事、はよい事』 を私が学んだのは、実は、毎日学校にゆく服装での体験です。

米国では、学生といえども毎日違った服を着て通学するのが習慣にとなっています。私は、日本から選ばれて留学するのだから恥ずかしくない服装をと、母が名古屋から京都まで出向いて室町の生地問屋で買い求めた美しい捺染プリントなどを、近所の洋装店で仕立てて持って行きました。すると、何を着て行っても 「Yoko, that’s so different!」 と言われるのです。Different とは「違っている」あるいは「変わっている」という意味。日本では現在でさえ人と違っている事は避けたい傾向がありますが、当時は出来るだけ人と同じが良いとされていました。そこで毎日、「どうしよう。明日は何を着ていこうか?」と悩んだわけです。 とうとう着るものが無くなって浮かぬ顔をしていると、妹のジュリーが「どうしたの?」と聞きます。訳を話すと、「あなたバカね。それはほめ言葉よ!」というのです。

<今も昔も 個性的な米国高校生> (1955年 友人の誕生会で)

いわれてみて考えたら、「That’s so different!」 といった後に、どこで買ったの?とか、日本ではいくら位するの?などと聞かれる事も多かった事に気づきました。彼女たちは非常に興味を持ち、出来れば欲しい、と思っていたのです。

米国では若者に限らず一般に、人と違う個性を持った自分を演出しようと努めています。日本も今でこそ「個性」をいい意味で使うようになりましたが、米国では、「人と違っていて個性的である事」が魅力であり、そのために、皆、一所懸命にファッションやお化粧、さらにはキャリアにつながる独自能力の開発に気を配っているのです。

学校の宿題等でも、例えば自分でテーマを選ぶレポートが出た場合など、お互いに「あなた、何のテーマにする?」と聞き合います。しかしそれは、人のテーマでいいアイディアがあれば自分も真似しよう、としてではなく、人と重複しないために聞くのだと分かりました。もし同じテーマの人がいたら、「あなた本当にそのテーマでやる? 絶対変えない? それなら私は違うテーマにするわ。」という感じでなのす。同じテーマを取り上げて、出来栄えを横並びに比較されるのも面白くないし、独自のテーマの方が自分の思うようにやれる、ということでしょう。

「Different」は、最近になって一層重要になっています。ハーバード・ビジネススクールの人気教授、ヤンミ・ムン氏の著作でベストセラーになった本のタイトルが「Different」でした。(邦題は『ビジネスで一番、大切なこと』 2010年 ダイアモンド社)。競争激化のなか、「差別化」にどんなに懸命に取り組んでも、同じ路線上での差別化競争では類似品を増やすだけ。「圧倒的な」違いで「抜きんでた」存在になるには、Different でなければならない、と彼女は言います。例えば世の中が「大きい方がいい」と考えている時、「小さくていいもの」を提案するのです。

私が日本から持っていった服は、まさしく圧倒的な違いがあっただろう、と、思い悩んだ留学時代を懐かしく思い起こしたことでした。

これは、日本のファッションの世界展開においても、また個人のキャリア追求についても言える事です。    (次回は「プロフェッショナルの世界:FIT留学で学んだ事」)