「スロー・ファッション」とは、言うまでもなく「ファスト・ファッション」に対する言葉です。H&Mが日本に上陸して4年。「ファスト・ファッション」の言葉と業態はすっかり市民権を得たようで、多くの顧客を集めています。(もっとも「ファスト・ファッション」の言葉の使われ方には若干の誤解があります。というのは、ユニクロのように、商品開発から店頭展開までをFast(速く短サイクル)にまわしているのではない場合も、価格が安いことでファスト・ファッションと呼んでいることです。)
しかし、東日本大震災、またそれに先立って世界的な経済危機の引き金になった リーマンショック以来、日本だけでなく世界的に、「ファッション」への見直しが広がっています。
ファッション・ビジネスNew Normal (新しい普通)の一つは、「スロー・ファッション」です。
昨日の繊研新聞の二つの記事が私の目をひきました。
ひとつは「めてみみ」のコラム。その主旨は「ここ数年でスローライフやエコライフに通じる購買行動が広がっている。高島屋東京店が、民芸展を開いている。民芸品とは『用の美と心を持つもの』。日常の暮らしの中で、使って美しいもの、心地よいものを意味する。華美に飾るものではない。百貨店へのニーズは、モノを所有するから使用するへ移っている。昔から使われている良いものを今の暮らしの中で使ってみたい、という実用性に加えて、使ってほっとする安らぎを求める願望が強まっている」。これは、衣食住すべてに共通するものと、私は感じています。しかし残念なことは、こういった手仕事で作り出され民芸品(あるいは丁寧に作ったもの)は、少量生産のため高価で、大量生産大量消費の時代には、非日常的なものになってしまっていました。六本木の三宅一生率いる 21_21 DESIGN SIGHTで最近まで開催されていた「テマヒマ展〈東北の食と住〉」も、合理性を追求してきた現代社会が忘れてしまいがちな「時間」と「人の手のぬくもり」を素晴らしい形で紹介した展示会でした。
もう一つの記事は、「知見・知恵・知行」コラムへのアリナ・アシェチェブコワさんの寄稿。『私の経済危機』です。「服を修理に出してきた。おしゃれじゃない! とお叱りを受けそうだが、日本では年々『お直し』の店が増加中。経済危機がきっかけだとしても、ブルーノタウトら世界の知の巨人に愛された、良いものに愛着を持ち、修理するほど美しくなる、そんな日本文化の再来が嬉しい。そんなムードに水を差すのが商品の品質だ。」という彼女は、ラトビア日本大使館のラトビア投資開発公社日本代表でファッションを愛でる人。「9分30秒に一着生産されるカットソーは毛羽立ち、おしゃれの幻想がすぐに消えさる」ことを嘆き、一度しか着られない服、数カ月でダメになる靴、そして市場の平均値をとったデザイン。過度のトレンドを追い、量をこなす消費を主導してきた企業やデザイナーの責任は重い、としています。
ファスト・ファッションの多くは、品質よりはトレンドを着てカッコイイ自分の外見を演出したいという、使い捨て時代の流れに乗った刹那的な欲求を安価で満足しているといえます。ある意味でバブルが崩壊したにもかかわらず、慣れ親しんだ「バブル的行動を止められない消費行動」、と言えるかもしれません。
「スロー・ファッション」の概念は、「スローフード」から生まれたものです。「スローフード」とは、「ファスト・フード」に代わる運動として、1986年イタリアのトリノでカルロ・ペトリーニによって始められたものです。始めは「アルチゴーラ」と呼ばれていたのが「スロー・フード」と改名されたことで、ファスト・フードの本拠地である米国でも多くの支持者を得、世界に広まることになりました。コンセプトは勿論「伝統的な、また地域の食生活を大事にし、植物や種、家畜などを地域のエコシステムの中で育てることを推進する」ことです。写真は、このコンセプトをニューヨークの5番街に展開したEataly の店内風景です。健康と人生謳歌のために、食材と飲食を、楽しくエキサイティング、かつ総合的に提供する、いかにもイタリア的な、新タイプの市場(いちば)と言えましょう。
環境や資源問題、また個人の愛着等が重要になっているファッションの世界も、これまでのようにトレンドを、素早く取り込み、それをすぐに陳腐化させる(古いと思わせる)ことだけで利益を上げ続けることは、出来なくなっているのです。
「スロー・ファッション」を実践しているブランドあるいは企業をご存知ならば、ぜひ教えてください。