米国ファッション工科大学(FIT)の図書館に、尾原の回顧録が収録されました

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8月、特に2025年の今年は第二次大戦・太平洋戦争の終戦80周年を迎え、改めて日本の敗戦と世界大戦の重み、そしてその後の変容を深く考える時です。

今年は私個人にとっても記念すべき年です。というのも、初めて米国に高校2年生で留学してから丁度70年。そしてまた、今年4月に、ニューヨーク州立ファッション工科大学(略称のFIT)の記念イベントの一環として、 “日本のファッション・ビジネスの誕生と発展”についてニューヨークで講演したり、FITの資料センター(図書館やファッション博物館)のアーカイブに、尾原の回顧録として“米国に学んだ日本のファッション・ビジネス物語”」が単独インタビュー(いわゆるOral History)としてビデオ収録される、という名誉を頂くことになったからです。英語でのインタビューは、「日本のファッション・ビジネスの母」と紹介されました.(画像はFITでの講演で、ジョイス・ブラウン学長と)

インタビューで驚き感激したのは、『ファッション・ビジネスの世界』の著者のジャネット・ジャーナウ教授の言葉として司会者(インタビューアー)が紹介した内容でした。曰く、「ヨーコは、FIT卒業生の中で、最も成功した卒業生だろう。なぜなら彼女は、デザイナーで有名になったのでも、会社を設立したのでもなく、大手企業のトップになったわけでもない。しかし彼女は、“ファッションという産業を構築したのだから。」 FITが卒業生を、個人の名声だけではなく、“産業を構築した”といった視点とスケールで評価することに、大いに感動しました。(もちろん、それは私一人の力ではなく、旭化成やFITセミナーで熱心に学ばれた業界リーダーの力によって達成出来たものですが、、、)(下記画像はFITアーカイブ収録のビデオ・インタビュー。提供:FIT/ Gladys Marcus Library)

インタビューは、この言葉をきっかけに、フルブライト奨学生としての尾原のFIT留学や、同校のFMM(ファッション・マーチャンダイジング/マーケティング)コースでの刺激的学び、日本にファッション産業(特にアパレル/小売り業界)の最先端を日本に紹介したいとの想い、『ファッション・ビジネスの世界』の翻訳出版、そして28年間にわたって続いた業界向け教育プログラムの「旭化成FITセミナー」の企画エピソード、さらには160余名の来日講師(米国のみならずヨーロッパからの)、、、などについて展開しました。   (画像は、『ファッション・ビジネスの世界』1968年初版と旭化成FITセミナーのパンフレット)

日本におけるファッション・ビジネスは、振り返れば原著タイトル “Inside the Fashion Business” の Fashion Businessを何という日本語にするかで出版社(東洋経済新報社)との3時間半の激論の末、「これ、日本語にしてしまいましょう」との編集長のリードで1968年にスタートしました。そして、1970年代のアパレル企業の目覚ましい成長(1973年に起きた石油ショックにさえも、日本のアパレルは殆ど影響を受けず2桁成長を続けた)、さらにその後の多様な変革と発展を経て、今日にいたっています。

今、その産業は、アパレルあるいはファッションに関しては、かなり厳しいものになって来ています。しかしそれとて、経済成長とともに人々の生活が豊かになり、価値観の変化・多様化という進化が起こった結果である事は、「マズローの欲求5段階説」を引くまでもなく、周知の事実です。“有名ブランド”に付いていたプレミアム価値の多くは剥げ落ちて、今や、580円の「冷感  T シャツ」が大ヒットする時代になっているのです。

テクノロジーの進展、具体的には、コンピュータやインターネット、スマートフォーンの普及、デジタル化やSNSの拡大も、ビジネスを大きく変えました。商品の作り手、売り手は、かつての素材メーカーやアパレルメーカーばかりでなく、消費者にも広がって CtoC となり、さらに受け手である消費者は、BtoMe、あるいは、CtoMe,つまり一般的に言う「個人」から「Me=私」になってきているのです。 

そんなことから、今年は、“ファッション・ビジネスの回顧”  あるいは “キャリアの整理” のつもりで私が体験したファッション・ビジネスの変容をまとめたいと考えています。  ( → 次回から「日本のファッション・ビジネス回顧録」のシリーズを書く予定です)