グローバル

One Young World のシンポジウムで   若いリーダー達にパワーをもらいました

「若者のダボス会議」とも呼ばれる、One Young World(ワン・ヤング・ワールド=OYW)の日本シンポジウム、「澁谷コーカス」が、5月25日に開催されました。私も 「ビジネスにおける女性」のセッションに、パネラーとして登壇し、久しぶりにワクワクした時間を過ごしました。

国際化の重要性をうたいながら、世界との人的交流では圧倒的後れを取っている日本で、英語で開催された今回の国際イベント(澁谷QWSが会場)に、200人超のリアル参加と1000人近い世界からのオンライン参加があったと聞き、心強く思いました。その概要と、これからの若者への期待を書かせて頂きます。  (画像はOYWのWomen in Businessセッションの登壇者)

◆OYWとは:世界の若者リーダーを開発するNPO → OYWホームページ

2010年に英国で設立されたOYWの目的は、今日の世界的課題の原因がリーダーシップの欠如にあるとの考えのもと、次世代を担う若者のリーダーシップを醸成することにあります。毎年、世界の主要都市で、スイスのダボス会議のような 「OYWサミット」 を開催。今年は9月にモントリオールが予定地になっています。日本からも、奨学金を得て参加する若者代表(18∼32歳)のほか、企業が派遣する次世代リーダーやOYW支援者などが参加、多彩なセミナーや体験学習、異文化交流やネットワーキングなどを、共通言語である英語で行います。リアル参加は、毎年190ヵ国以上から2000人を超える、とのこと。

日本での「コーカス(分科会)」は、今年が3回目ですが、近年中に、「OYWサミット」を日本で開催したいと、関係者は意欲的です。

◆ 「澁谷コーカス」の多彩なプログラム

朝10時の小池都知事による開会ビデオ挨拶(英語)から、夕食とネットワーキング終了の夜8時半まで、フル1日のプログラムは盛り沢山でした。

例えば、前週に開催された「長崎平和フォーラム」報告、SDGs 関連事業の企業パートナーシップ事例(アッシックス㈱、第一三共㈱)、「Women in Politics=政治における女性)」、「Women in Business=ビジネスにおける女性」、OYWアンバサダーによるプレゼン、「Forbes 30 Under 30=「世界を変える30歳以下の30人」から起業家2名のプレゼン、などなど。各セッションの間の休憩も、コーヒー/スナック・ブレイクやランチが、参加者間の交流を促進するよう、工夫されています。

◆「ビジネスにおける女性」 セッション

このパネルディスカッションは、司会の谷本由香さん(Forbesウェブ編集長)が冒頭にNHKの人気連続ドラマ 「虎に翼」が描く 100年前の日本の“女性は無能力者”扱いに言及。現在でもまだ、日本のジェンダー平等指数は世界で125位に止まっている(世界経済フォーラム)、との問題提起で始まりました。

自己紹介の次は、日本社会の様々な女性差別にも関わらず、“キャリアで成功している3人のパネラーの“成功の要因”は? との問いでした。(本人たちは、必ずしも成功とは考えていないと思いますが)

私は自分の“成長”の要因として4点を上げました。

① 「人と違う、は誉め言葉」を留学で教えられ、自信につながった。   ②   女性が海外で“生き生きと”働いている秘訣は、自分に合う条件(得意、やりたい事、働き方)に合う仕事を選択している、と気づいたこと。         ③   プロフェッショナルの在り方(仕事に対する態度・日々の研鑽・誇り・ コミットメント)を学び、“真のプロ”になろうと決意した。        ④ 「大きなチャンスが来た時、勇気を出して決断する」 を実行した (『ファッション・ビジネスの世界』の翻訳出版)。

他の登壇者の石黒不二代さん(ネットイヤー・グループ 元CEO)は、「大企業ではなく小さな会社に入った事。自分自身を信じ、裁量権を獲得した。政治的で時間がかかる大企業で時間を無駄にしたくなかった。いわゆる“ロールモデル”を手本に真似ることも考えなかった。人がしないことをする、が重要」 と話されました。

西原口香織さん(JAL 執行役員)の言葉、「キャビンアテンダント時代を通じて、目の前のイッシュー(お客様やサービスにおける困りごとの解決)に、一つ一つ丁寧に取り組んできた。毎回問題は異なる。継続的な挑戦だった」 には、現場での問題解決のリアル体験が、人の成長にいかに重要かを、あらためて学びました。

◆参加者へのキャリア・アドバイス

 最後に、VUCA(変化・不確実・複雑・曖昧)の時代に成長・成功するために、尾原は3つのメッセージを送りました。

  • 生涯の “パーパス”(目的・志・社会的な存在意義)を持とうーー私自身のパーパスは、「女性でも男子と同様に、社会に貢献する。それが可能なことを立証する」 でした。人生の岐路に立った時、あるいは日常的な選択に迷った時、パーパスは、“北極星”のようにガイドしてくれます。
  • 行動しよう。Take Action! 失敗する勇気を持とう!――現代は、選択肢が多く関連情報も膨大で、結果やリスクも予測出来てしまうため、二の足を踏む若者が多い。しかし世の中は刻々と変化し、これまで無かった可能性が生まれている。新しい挑戦には勇気がいるが、失敗を恐れず挑戦してほしい。万一失敗しても、その中から新たな可能性が見えてくる。 失敗から学ぶ、行動してから修正する、それが容易になっている時代だ!
  • あなたは自分の人生物語を書いている。My Story の著者だ。素晴らしい、あなたにしか書けない独自の“My Story” を書いて欲しい。

◆ネットワーキングは素晴らしい! 自分の窓を開け放とう

こういう会に参加するたびに感じることですが、新しい人に出会い、新たなナレッジやインスピレーションをもらい、異文化体験などで自分の世界を広げることは、キャリアにおいて、何にも勝るチャンスです。

実は今回の登壇は、OYWのアンバサダー雨宮百子さんからの依頼でした。雨宮さんは、拙著 『Break down the Wall―環境、組織、年齢の壁を破る』の出版を担当して下さった日経新聞出版の編集者でしたが、彼女に出会ったのは、尾原がファッション・ビジネスの未来について講演した会場でした。私のキャリアに興味を持たれた雨宮さんが、本の執筆を促して下さったのです。小さな出会いが、私にとっては勿論ですが、雨宮さんにとっても、今日の目覚ましい活躍のネットワークに繋がっているのは本当に嬉しいことです。

実は今回も、多くの予期せぬ出会いがありました。同窓生、留学先が同じ、仕事で思いがけない接点があった、などなど。どれもが新たな扉を開いたり、閉じていた窓を再開してくれました。

次世代を担う若い人たちの、OYWに限らず、国際交流への積極的な参画を願っています。そしてそれぞれの皆さんに、洋々たる未来が広がりますように祈っています。                                                    END

<米国同時多発テロから20年―追悼と、危機対応のリーダーシップ>

  • 「9・11」 2001年9月11日火曜日 午前8時46分

 あの日は、突き抜けるような快晴。キラキラと、青空を背に朝日に輝く世界貿易センタービルに2機のハイジャック機が相次いで突入しました。。ニューヨークの FIT(ファッション工科大学) 8階の教室で、IFIビジネススクール幹部研修が進行中でした。1時限後の休憩時間に、何やら騒がしいので教室からロビーに出ると、南向きの大きな窓から貿易センター北棟の上部がもくもくとわき出る煙に覆われ、時折炎も見えました。状況が分からないまま、2時限目を継続。その間に2機目が突入した南棟、ついで北棟が崩れ落ちました。飛行機の突入の瞬間を見た人も、ビル崩壊を目のあたりにして心臓が止まる思いをした人もいました。

 すぐに「テロ事件」とわかり、FITは州立大学であることから即「非常施設」に指定され、「正午までに全員避難・退去」の命令がでました。FITは貿易センターから 3.5 キロほど北に位置しますが、すぐ北にあるエンパイア・ステイトビルも、攻撃ターゲットになっているといったニュースも飛び交い、地下鉄も停止した街を、エンパイアを避けて大回りをしながら、全員徒歩で48丁目のホテルまで帰りました。途中でメンバーのための食糧確保と、小銭への両替(自販機利用のため)に必死の努力をしたことを思い出します。

 IFIビジネススクール学長で研修責任者でもあった私は、受講者(企業幹部)23名と関係スタッフ計28名の安全確保と、全員無事に速やかな日本帰国を達成する方策を、参加者の協力を得ながら、あの手この手で探り決断する高度に緊張した時間を過ごしました。

 犠牲になった方々や御家族に、改めて心からなる追悼の意をささげます。

  • ニューヨーク市長、ルドルフ・ジュリアーニ氏のリーダーシップに学ぶ

 この稀有で貴重な体験から多くの学びがありました。またこの自爆テロをきっかけにアフガニスタン攻撃やイラク戦争にエスカレートしていった米国。20年でアフガン撤退という敗北に至った米国のテロとの闘い、などが今後どう展開して行くのか。不安定な世界の政治・経済・社会情勢などについては別の機会に書きたいと思っていますが、今回は、この前代未聞の危機に、時のニューヨーク市長、ルドルフ・ジュリアーニ氏が発揮した、感銘深いリーダーシップについてご紹介します。(同氏はその後、米大統領選に絡む問題で弁護士免許一時停止の措置を受けていますが、同時多発テロへの対応では、「世界の市長、TIME誌 Person of the Year 2001」と評価されました。)以下、当時の繊研新聞への筆者寄稿をご覧ください。

 リーダーシップの不足、中でも「有事のリーダーシップ」が問われる今、あらためて、ジュリアーニ氏の言動に学びたいと考えます。

「国際理解・グローバルキャリア」 AFS 講演会の講師を務めます(12月7日、大阪開催)

 ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が、今日、来日され、長崎から「核兵器からの解放」のメッセージを発信されました。世界13億人のカソリック教徒の頂点に立つバチカン王国法王の日本訪問は38年ぶり。それも長崎と広島訪問という歴史的な場所から核兵器の非人道性を訴えることが、世界の人々に核兵器の恐ろしさをあらためて思い起こし、あらたな行動につながることを切に願っています。

 原爆投下後の長崎で撮影された 「焼き場に立つ少年」 (死んだ弟を背中に負ぶったまま火葬の順番を待つ少年の凜とした写真) をカードに印刷して教会関係者に配布し人間の尊厳を訴えた教皇は、「核兵器の開発はテロ行為であり、抑止力のためではなく廃絶を目指すべし」、と言い切っています。

 尾原の大阪講演のテーマは、核廃絶ではありませんが、その主催者である、日本AFS協会は、「この世から戦争をなくそう」 と米国で設立されたボランティアの非営利団体です。AFSとは、American Field Service (米国野戦奉仕団) の略語で、第1次大戦中に、戦場で負傷した兵士を病院に運ぶ奉仕活動に端を発したもの。この世から戦争をなくするためには、互いの国や文化を理解し、友好と信頼関係を築くことが不可欠。それも、大人になってからではなく、感受性の強い高校生の少年少女を交換/交流させ、異文化を体験させることで可能になる、という理念で、スタートしました。いまや、AFS留学生は世界に何万人といます。今秋欧州中央銀行総裁に就任したクリスティーヌ・ラガルドさんもその一人です。AFS 講演会ご案内は こちらへ (参加料無料)

 

 日本にAFS支部が出来て留学生を送るようになったのは、1954年。私はその2期生として、全国から選考された29人の仲間に入って、1955年、日本人が一人も住んでいないミネソタ州のマンケイトという中都市に1年間、ホストファミリーと地元の公立高校に御世話になりました。

米国留学へ向けて氷川丸で手を振る筆者

  大阪講演のテーマは、

「すべてはマンケイトにはじまったーー16歳の AFS 留学が拓いたキャリアと、どんな 障害にもしなやかに対応する 壁破り体験物語」。

 私のキャリア形成は、振り返ると、米国でのこの1年間の異文化体験が引き金を引いてくれた、と、今、心底思います。成績は良かったけれど、引っ込み思案で、人と違う一歩を踏み出せないでいた少女が、アメリカへ向けて乗船した氷川丸が横浜埠頭を離れ、どんどん遠ざかる日本の山並みがついに黒い点になり水平線の彼方に消えた瞬間に、全身を襲った恐怖心と、同時に足元から湧き上がって来た電流のようなエネルギーから、「これからは、自分で考え、自分の足で立たねばならない」と決意したこと。そして「与えられたチャンスを最大限に生かして成長する」、「何か、自分がこの世に存在した証を創りたい」、と考えるようになった、その体験をお話ししたいと思っています。

 昨秋出版した 『Break Down the Wall―環境、組織、年令の壁を破る』 (日経出版社) は私がキャリアで体験した多くの壁や伝統的社会通念、女性あるいはマイノリティならではの苦労、などを私なりに突き破ったり、あるいは別の道を探したりしてやってきたことをまとめたもので、これを土台にお話を進める予定です。

『Break Down the Wallー環境、組織、年齢の壁を破る』

 対象者は、中学/高校生、その親御さん達、学校の先生から、社会人でキャリアの進め方に戸惑っている人、グローバル人材の開発に取り組んで折られる企業経営者まで、幅広い方に聞いて頂きたいと願っています。

 世界のグローバル化 (ビジネスや政治だけでなく意識の面でも) に後れを取っている日本。若者の内向き志向、すなわち留学など未経験の世界に進みたがらない昨今の傾向は、日本の将来を危うくするものと心配しています。多様性とインクルージョンが叫ばれていますが、それは企業組織内の多様性や異質な人材のインクルージョンだけでなく、一人一人の心と意識の解放と、異質なもの/ことに敬意と包容力を持つこと、です。

 セミナーへのご参加、あるいは適任者にお薦め頂けると嬉しいです。