ファッション

<FBのNew Normal (新しい常態)⑥> 「ファッション・モデルは理想体型が条件?」

 ファッション・モデルは、「細身」で「9等身」の「プロ」でなければいけないか?

 これを疑問に思っていた人は多いと思います。ましてや私のように小柄で、さらに、ある有名デザイナーが「ショーに使った服は、一般の人にはサイズが合わなくて売ることは出来ないわ。まあ、モデルに上げちゃうか、安い値段で譲ってあげるか、ですね。」というのを聞いた時には、「何という無駄!」と思ったものでした。 そもそも一般人の体型とかけ離れた背丈のモデルに合わせた服をショーで素敵に見せておきながら、実際に販売するのは、小さく作り直したサイズ、というのは、詐欺に等しい行為だと思います。 (ついでに言えば、何故ほとんどのランウェイ・モデルや有名店の広告やカタログが、いまだに西洋人モデルなのか。顧客が日本人なのだから日本人モデルを、というだけでなく、これは西洋崇拝や日本人の自信の無さの表れだと、残念に思っています)

 これに関して最近嬉しいニュースがありました。

 先週パリのギャラリー・ラファイエットが開催した世界最大のファッション・ショーのモデルが、一般公募による人たちだったというニュースです。ギネスブック公認の世界最大ファッションショー第3回は、9月18日17時に、同百貨店とオペラ座の間のオスマン大通りをランウェイに開催され、一般公募による400人のモデルが150メートルのランウェイを自前のファッションで歩いた、ということです。繊研新聞によれば、ビューティはカリスマ的ヘアメークアーティスト達が担当、モデルクラブからコーチも招き、DJ をつとめた個性派女優ロッシ・デ・パルマは、「トップモデルの専制にさよなら。このショーは個性派ぞろいよ」 と声援を送り、会場を沸かせたそうです。

 第二は、Vogue 誌の「ファッション・モデル宣言」です。

ファッション雑誌のリーダー、VOGUE (ヴォーグ)の出版元であるコンデナスト・パブリケーションズ社が今年の5月3日、モデルの痩せすぎと年齢問題への対策(声明)を発表しました。声明は、世界19の国・地域で展開するVOGUE誌の編集長・19人の連名で出され、摂食障害があるとみられるモデルは使用しない。またモデルの事務所にも、モデルの健康状態とボディマス指数(体脂肪指数)のチェックを呼びかける、というものです。また、16歳未満のモデルとは契約しない方針も発表し、これにより、編集ページで起用するモデルは“16歳以上の健全なモデル”に限定されることになります。
 もっとも摂食障害は、スペインでは1997年ごろから問題になって居り、スペイン政府は、すでに5―6年前だったと思いますが、モデルに若年者を使わない年齢制限と、一定体重をクリアせねばならないことを決めています。

 第三は、米国のファッション専門店 J. Crew  が、今年の秋のキャンペーンにはプロのモデルやセレブを起用せず、様々な分野のキャリアで成功しているファッション感度の高い人達を、広告やウェブやカタログに登場させていることです。モデルになる人たちは、雑誌のエディターやファッション・ディレクター、MOMA(近代美術館)の開発ディレクター補佐、メディアミックス・ブログサービス企業 Tumbr の創業者&CEO、米国癌学会の広報ディレクターなどなどで、「顧客と文化一般にインパクトのある人達に登場してもらった。彼らはクオリティとディテールを重視する。顧客はそれに共感する人たちです。わが社はセレブ志向ではありません」 と同社のマーケティング最高責任者は語っています。

 嬉しいのは、ファッション小売業の厳しい競争の中でリードを続ける J. Crew  が、このように、リアルで実質的なアッピールを重視していることです。

そもそも、リアル・モデルは、日本ではヤング・ファッションの世界で TGC が先鞭をつけたものでした。しかしそこでも、高級ファッションショーのモデルほどではなくても、矢張りやせ形、スリムなボディが重視されているようです。

 日本人高校生に関する最も新しい調査によれば、高校2,3年の女子で、平均体重から「痩せすぎ」と見なされる人の数が 5年前の約 1.5 倍になった、と文部科学省が 2011 年度の学校保健統計調査の結果を発表しています。(2011,12.9付け朝日新聞) 減り幅が最も大きかったのは16歳(高2)で、前年度比0.3キロ減の52.4キロであったといいます。痩せすぎとは、標準体重の80%を下回る「痩身傾向」をいい、文科省は「過度のダイエット志向が原因かもしれない」と述べています。そうだとすれば、日本の将来にとって本当にゆゆしき問題ですね。

 ファッションにリアル性と 「ほんものであること」  が求められ、またプロとアマチュアの差がどんどん狭まっている現在、ファッション業界も、この問題をしっかり考えねばならない時に来ていると思います。

<FBのNew Normal (新しい常態)⑤> 「スロー・ファッションに宿る作り手の想い」

先回「スロー・ファッションのすすめ」で、「皆さんの周りにスロー・ファッションを実践している人やブランドがあれば教えて下さい。」とお願いしましたら、何人かの方から貴重なお声を頂きました。その中で痛感したことは「スロー・ファッションは作り手の想い」であることです。コメントの一部を御紹介しながら、「スロー・ファッション」とは何かについて、さらに考えてみました。

 東北地方でファッション・ショップを営んで居られる   M  さんからは、「People Tree」(ピープルツリー) が「わたしがリスペクト出来るスロー・ファッションの企業」とご連絡頂きました。ピープルツリーは、創業者のサフィア・ミニーさんとともに、私も以前から注目しているフェアトレードの会社です。イギリス人のサフィアさんは、1995年に「環境保護と途上国支援を目的とした、ビジネスの実践と普及」を目指してこの会社を設立。事業内容は、人と地球にやさしい衣料品、服飾雑貨、日用雑貨、食品等の商品開発や輸入・販売です。7月のJFW-IFFにも出展していたので、ご覧になった方も多いと思います。http://www.peopletree.co.jp/ (画像は People Tree  2012秋冬カタログ)

  M  さんは、主として東京コレクションに出ているブランドを扱っておられる個人経営のお店だそうですが、震災後お客様が減り経営が厳しくなるなかで、自分自身も含め人々の価値観の変化から新しい展開として行き着いたのがピープルツリーだったそうです。

「扱ってみると、ピープルツリーは今までの取引先とはまるで違い、生産者や生産者の背景も動画やカタログに示してくれてることが大変新鮮でしたし、私ども取引先に対しては、具体的にかつ積極的に売り方のアドバイスもくれます。」 その一方で 今も一部取引があるコレクションブランドでは、営業担当者の姿勢が 「○百万円以上買わないとウチのブランドは扱わせませんよ」 といった感じで、「ビジネスモデルとして古く感じる」といいます。

「コムデギャルソンやヨージヤマモトのような一流ブランドのように扱って欲しいのでしょうが、商品原価等もどんどん下がっているようで憤りを感じ、なんともいえない気分になります。消費者との感覚とも少しかけ離れているとしか感じなくなりました」という  M  さんの御意見は、まさにこのテーマの「New Normal 新しい常識」といえるでしょう。「会社の存続にはさまざまなご苦労もあるようですが、私自身 厳しい時代の中、苦楽を共有したいと思うのはこういう人間味があり、地に足の着いた企業です。」の言葉には、華やかなショーのランウェイでなく、現実の世界でファッションを扱っている人の、重みを感じました。

 自分の信条(ピープルツリーの場合には、環境保護と途上国支援)に基づいて、納得のゆく製品を作り、それをフェアな取引で顧客(小売店および生活者)に届ける。ファッションから見ても、1シーズンで流行遅れになるファスト・ファッションではなく、人それぞれが自分のスタイルとして長期間着用できるデザインの服。服への愛着を感じると同時に、作り手の「想い=心」や「手のぬくもり」を感じることが出来るのが、スロー・ファッションだと考えます。それはまた、作り手、扱い手(小売店)、使い手、が皆ハッピーになれる、Win-Win-Win のビジネスでもあるのです。

 滝口佐藤園代さんからのお便りも素晴らしいものでした。「80歳になるわが母と、その母のお洋服を40年近く作り続けてくださっている方は、まさにスローファションを実践していると思います。母は近頃体型が変化し自分が着られなくなった質の良いお洋服たちを、お直しに出し、私たち娘にリフォームした新しい服を提供してくれています。大切に着てきたお洋服がまだまだ活躍しております。」 そこで滝口さんに私から質問しました。「時を越えられる服のエッセンスは、何でしょうか? 素材の良さはもちろんですが、それ以外には?」 そのお答えは、「着る方の希望を十分に聞き、そしてデザインを起こし、型紙を作り、念入りな仮縫いと縫製と、最後はやはり、お洋服に対する愛情ではないでしょうか。私自身も何着か作って頂いてますが、多少体型が変わっても、未だに着回しが出来るものばかりです。」

 限られた資源を使い、着る人をイメージしながら丁寧に愛情をこめて服を作ること。そして、そのようにして作られた服を、丁寧に扱い、丁寧に感謝の気持ちをもって着ること、これがNew Normal 時代の、新しい、また重要なファッションであると考えます。

<FBのNew Normal (新しい常態)④> 「スロー・ファッションのすすめ」

「スロー・ファッション」とは、言うまでもなく「ファスト・ファッション」に対する言葉です。H&Mが日本に上陸して4年。「ファスト・ファッション」の言葉と業態はすっかり市民権を得たようで、多くの顧客を集めています。(もっとも「ファスト・ファッション」の言葉の使われ方には若干の誤解があります。というのは、ユニクロのように、商品開発から店頭展開までをFast(速く短サイクル)にまわしているのではない場合も、価格が安いことでファスト・ファッションと呼んでいることです。)

しかし、東日本大震災、またそれに先立って世界的な経済危機の引き金になった リーマンショック以来、日本だけでなく世界的に、「ファッション」への見直しが広がっています。

ファッション・ビジネスNew Normal (新しい普通)の一つは、「スロー・ファッション」です。

昨日の繊研新聞の二つの記事が私の目をひきました。

ひとつは「めてみみ」のコラム。その主旨は「ここ数年でスローライフやエコライフに通じる購買行動が広がっている。高島屋東京店が、民芸展を開いている。民芸品とは『用の美と心を持つもの』。日常の暮らしの中で、使って美しいもの、心地よいものを意味する。華美に飾るものではない。百貨店へのニーズは、モノを所有するから使用するへ移っている。昔から使われている良いものを今の暮らしの中で使ってみたい、という実用性に加えて、使ってほっとする安らぎを求める願望が強まっている」。これは、衣食住すべてに共通するものと、私は感じています。しかし残念なことは、こういった手仕事で作り出され民芸品(あるいは丁寧に作ったもの)は、少量生産のため高価で、大量生産大量消費の時代には、非日常的なものになってしまっていました。六本木の三宅一生率いる 21_21 DESIGN SIGHTで最近まで開催されていた「テマヒマ展〈東北の食と住〉」も、合理性を追求してきた現代社会が忘れてしまいがちな「時間」と「人の手のぬくもり」を素晴らしい形で紹介した展示会でした。

もう一つの記事は、「知見・知恵・知行」コラムへのアリナ・アシェチェブコワさんの寄稿。『私の経済危機』です。「服を修理に出してきた。おしゃれじゃない! とお叱りを受けそうだが、日本では年々『お直し』の店が増加中。経済危機がきっかけだとしても、ブルーノタウトら世界の知の巨人に愛された、良いものに愛着を持ち、修理するほど美しくなる、そんな日本文化の再来が嬉しい。そんなムードに水を差すのが商品の品質だ。」という彼女は、ラトビア日本大使館のラトビア投資開発公社日本代表でファッションを愛でる人。「9分30秒に一着生産されるカットソーは毛羽立ち、おしゃれの幻想がすぐに消えさる」ことを嘆き、一度しか着られない服、数カ月でダメになる靴、そして市場の平均値をとったデザイン。過度のトレンドを追い、量をこなす消費を主導してきた企業やデザイナーの責任は重い、としています。

ファスト・ファッションの多くは、品質よりはトレンドを着てカッコイイ自分の外見を演出したいという、使い捨て時代の流れに乗った刹那的な欲求を安価で満足しているといえます。ある意味でバブルが崩壊したにもかかわらず、慣れ親しんだ「バブル的行動を止められない消費行動」、と言えるかもしれません。

スロー・ライフのための食文化を提供するニューヨークのEataly

「スロー・ファッション」の概念は、「スローフード」から生まれたものです。「スローフード」とは、「ファスト・フード」に代わる運動として、1986年イタリアのトリノでカルロ・ペトリーニによって始められたものです。始めは「アルチゴーラ」と呼ばれていたのが「スロー・フード」と改名されたことで、ファスト・フードの本拠地である米国でも多くの支持者を得、世界に広まることになりました。コンセプトは勿論「伝統的な、また地域の食生活を大事にし、植物や種、家畜などを地域のエコシステムの中で育てることを推進する」ことです。写真は、このコンセプトをニューヨークの5番街に展開したEataly の店内風景です。健康と人生謳歌のために、食材と飲食を、楽しくエキサイティング、かつ総合的に提供する、いかにもイタリア的な、新タイプの市場(いちば)と言えましょう。

環境や資源問題、また個人の愛着等が重要になっているファッションの世界も、これまでのようにトレンドを、素早く取り込み、それをすぐに陳腐化させる(古いと思わせる)ことだけで利益を上げ続けることは、出来なくなっているのです。

「スロー・ファッション」を実践しているブランドあるいは企業をご存知ならば、ぜひ教えてください。