プロフェッショナル

「私のフルブライト留学記 ーー    プロフェッショナリズムの原体験」

“Paris 2024” オリンピックが成功裡に幕を閉じました。セーヌ川を舞台に華やで美しい演出の開会式、競技場はフランスならではの歴史と文化を融合させた設営、と、まさしく世界の祭典として歴史に残る素晴らしいオリンピックでした。

会を重ねるごとに拡大する競技種目は、32競技、329種目におよび、日本選手も、新規競技での若手の活躍や、フェンシングや馬術などヨーロッパの伝統スポーツでのメダル獲得などを含め、大いに健闘しました。深夜から夜明までテレビにとりつかれた日本国民の多くは、オリンピックで久しぶり元気になったように思います。

 世界のオリンピックで活躍する優れたアスリートたち。オリンピックをめざして長期間、心身ともに過酷な練習で、技と精神力を磨いてきたスポーツのスーパーマン/ウーマンたちがめざすゴールの高みと不断の努力/研鑽に、心からの拍手を送ります。

<フルブライト日本同窓会で“プロフェショナリズム”について講演しました>

 大学卒業後、旭化成入社5年目に、私はフルブライト奨学生としてニューヨークのFIT(Fashion Institute of Technology)に留学。“プロフェッショナル”と呼ばれる人たちの凄さを体験しました。“プロ かアマチュアか”という区別を超えた、“優れた能力や技術を身につけ、高い見識と目標をもって、絶えず自己研鑽に励む” 仕事の達人たちです。今回、トップアスリートを目の当たりにしながら、ファッション・ビジネスの トップ・プロフェッショナルに想いを馳せました。

 

 

 

 

フルブライト奨学制度とは、米国上院議員のJ・ウィリアム・フルブライトの、「世界平和を達成するためには 人と人との交流が最も有効である」との信念に基づく提唱で発足した 「フルブライト人物交流プログラム」の一部であり、日米両国政府が設立した日米教育委員会(フルブライト・ジャパン)により運営されています。米国の大学院などで多様な専門領域を学ぶことが出来、1952年の開始以来、1万人を超える日本人とアメリカ人が参加しており、国際的な教育・交流プログラムとして世界で高く評価されています。

私の留学の目的は、「ファッション・マーチャンダイジング」という、当時の日本では全く知られていなかった専門領域を学ぶことでした。旭化成で「ファッション商品の開発」という新しい仕事を与えられ、暗中模索で取り組んでいる時、米国ではすでに “マーチャンダイザー”とか “スタイリスト” といった専門職が活躍していることを知ったからです。

<米国ファッション・小売業界の“プロフェッショナル” に目からうろこ!>

ところが行ってみると、それは単に“専門知識やスキルを身につける” レベルをはるかに超えた、“プロフェッショナル”の世界でした。まさしく目からうろこ! ここから尾原蓉子の、ファッション・ビジネスでのキャリアが始まり、『ファッション・ビジネスの世界』の翻訳出版、旭化成FITセミナーや、IFIビジネススクールの設立に繋がりました。

旭化成FITセミナーは、旭化成が日本のファッション業界発展のため1970年に始めたファッション・ビジネスの専門領域を学ぶ講座シリーズです。米国FITの協力を得て業界に開放したこのセミナーは、IFIビジネススクールが正式開校するまでの28年間 継続開催され、最終的に、168講座、来日講師156人、受講者は延べ1万人を超えるものになりました。 内容は、アパレル、小売り、テキスタイルのビジネスに絡むマーチャンダイジングやマーケティング、スタイリング、生産/情報テクノロジー、経営などなどの「実学」です。

(開催された旭化成FITセミナーの講座概要)

今回の講演では、このセミナーのカリキュラム企画と実施を担当した筆者が、講師の選考などを通じて感銘を深くした “プロフェショナリズム”について、色々な事例やエピソードを紹介しながらお話しました。 (講演内容は→ 

https://www.youtube.com/watch?v=MZed8T1OVVg

例えば、ファッション専門企業でのインターン体験を求めて、ゴルフウェアで有名なマッグレガー社に出向いた時のことです。CEOのドニガー氏が自ら面接されたのにも驚きましたが、「レジメンタル・ストライプを組め」と5色の糸を提示するなどの実務チェックも受けました。ところが最後に、「あなたの採用は出来ない」と言われました。理由を問うと、「あなたはオーバースペック(Over qualified)だ」、と。オーバースペックでは何故だめなのか? と畳みかけると、「この仕事は、エントリーレベルの仕事だ。あなたはすぐに飽きて辞めるだろう」と。「絶対やめません」と頑張っても、「Believe me.  辞めなくても貴方はアンハッピーになる。ハッピーでない状態で仕事をするのは貴女にも良くないし、当社としても歓迎できない。自分の能力にふさわしい仕事を選びなさい」 というのです。

オーバースペックの人を採用する事は、企業にとって得策だと考える日本企業は多い。しかし米国では、プロを目指す人、あるいはプロに育つことを期待する企業では、“伸びしろのある人間が、自らにドライブをかけ成長する”、ということが重要なのだと知りました。

また、FITセミナーの講師選びのインタビューでも貴重な体験をしました。毎回新たなテーマで講座を開催する中で、講師候補に、「〇〇のテーマで講義をお願いしたい。出来ればその“周辺”についても話してもらえれば有難い」と要望した時に、「いいですよ。私はそのあたりも大体わかっていますから」と答える候補と、「いや、私の専門は〇〇です。周辺も、といわれても専門外の話は出来ません。もし、それを求められるのなら他の人を探して欲しい」という候補者がありました。周辺の話はだめ、と言われて私は前者を選んだのですが、セミナー終了後、やはり後者にすべきだった、と反省したことがありました。実はこの人は、FIT側で講師選択をサポートしてくれていたJoan Volpe教授に、「彼は、業界で“プロフェッショナル”と言われている人だ。こちらを選んだ方が間違いない。」とアドバイスされた人でした。真のプロフェッショナルとは、“プロとして恥ずかしくない仕事をする”ことを誇りに生きているのです。“高い山”はすそ野が広い。“深い穴”を掘りたいなら、周りの土を沢山掻き出さねばならない。自分が極めたいと思う専門領域を、謙虚に、強い想いと信念をもって掘り進んでゆく。そのプロとしての姿勢とコミットメントに感動する場面を、これ以外にも多く経験しました。

これらの体験を通じて得た、私が考える「プロフェッショナルの条件」を挙げましょう。

「人間力=信頼できる」 も、プロフェッショナルな仕事人として、欠かせない資質、姿勢です。人間の力を信じ、生身の人間だけが持つ感受性や共感力で他をインスパイアしながら、自らは誠実・謙虚に研鑽を積む。信頼して任せられるのは、まさにこのような人でしょう。

<これからの時代のプロフェッショナルへの期待>

思えば、1960年代中頃から急成長・急拡大した米国のファッション・ビジネスで次々に登場し、日本も追従した新たな専門領域は、いま、大きく変容しつつあります。勿論、マーチャンダイジングやスタイリング、あるいはマーケティングやマネジメントの本質には、不変のものがあります。

しかしファッションも単に流行を追うだけのビジネスではなくなり、個人の好むライフスタイルに焦点を当てるものになりました。環境問題も、着捨ての習慣や大量廃棄を抑制し、地球や資源の保全を求めています。

特に重要なのは、新しいテクノロジー、特に生成AI(ジェネレイティブAI )が主導する巨大潮流によって、分野によっては、誰でも (いわゆる素人= しろうと)でも プロ級の仕事をこなすことが出来るようになりつつあることです。いわゆる“高度なスキル” ツールが簡単に手に入るようになりました。

となると、“これからのプロフェッショナル”には、AIを超えることが出来る人間力が必要になるでしょう。それは、人間が、生身の人間しか持っていない感情やエンパシー(人の気持ちを思いやる心)、そして倫理観をもって、個人やコミュニティのライフ(生活)を豊かにする姿勢、パーパスを明確に追求すること。そしてその目的を達成するリーダーシップと創造力です。

新たな時代の “プロフェッショナルの登場” に大いに期待しています。

(End)

One Young World のシンポジウムで   若いリーダー達にパワーをもらいました

「若者のダボス会議」とも呼ばれる、One Young World(ワン・ヤング・ワールド=OYW)の日本シンポジウム、「澁谷コーカス」が、5月25日に開催されました。私も 「ビジネスにおける女性」のセッションに、パネラーとして登壇し、久しぶりにワクワクした時間を過ごしました。

国際化の重要性をうたいながら、世界との人的交流では圧倒的後れを取っている日本で、英語で開催された今回の国際イベント(澁谷QWSが会場)に、200人超のリアル参加と1000人近い世界からのオンライン参加があったと聞き、心強く思いました。その概要と、これからの若者への期待を書かせて頂きます。  (画像はOYWのWomen in Businessセッションの登壇者)

◆OYWとは:世界の若者リーダーを開発するNPO → OYWホームページ

2010年に英国で設立されたOYWの目的は、今日の世界的課題の原因がリーダーシップの欠如にあるとの考えのもと、次世代を担う若者のリーダーシップを醸成することにあります。毎年、世界の主要都市で、スイスのダボス会議のような 「OYWサミット」 を開催。今年は9月にモントリオールが予定地になっています。日本からも、奨学金を得て参加する若者代表(18∼32歳)のほか、企業が派遣する次世代リーダーやOYW支援者などが参加、多彩なセミナーや体験学習、異文化交流やネットワーキングなどを、共通言語である英語で行います。リアル参加は、毎年190ヵ国以上から2000人を超える、とのこと。

日本での「コーカス(分科会)」は、今年が3回目ですが、近年中に、「OYWサミット」を日本で開催したいと、関係者は意欲的です。

◆ 「澁谷コーカス」の多彩なプログラム

朝10時の小池都知事による開会ビデオ挨拶(英語)から、夕食とネットワーキング終了の夜8時半まで、フル1日のプログラムは盛り沢山でした。

例えば、前週に開催された「長崎平和フォーラム」報告、SDGs 関連事業の企業パートナーシップ事例(アッシックス㈱、第一三共㈱)、「Women in Politics=政治における女性)」、「Women in Business=ビジネスにおける女性」、OYWアンバサダーによるプレゼン、「Forbes 30 Under 30=「世界を変える30歳以下の30人」から起業家2名のプレゼン、などなど。各セッションの間の休憩も、コーヒー/スナック・ブレイクやランチが、参加者間の交流を促進するよう、工夫されています。

◆「ビジネスにおける女性」 セッション

このパネルディスカッションは、司会の谷本由香さん(Forbesウェブ編集長)が冒頭にNHKの人気連続ドラマ 「虎に翼」が描く 100年前の日本の“女性は無能力者”扱いに言及。現在でもまだ、日本のジェンダー平等指数は世界で125位に止まっている(世界経済フォーラム)、との問題提起で始まりました。

自己紹介の次は、日本社会の様々な女性差別にも関わらず、“キャリアで成功している3人のパネラーの“成功の要因”は? との問いでした。(本人たちは、必ずしも成功とは考えていないと思いますが)

私は自分の“成長”の要因として4点を上げました。

① 「人と違う、は誉め言葉」を留学で教えられ、自信につながった。   ②   女性が海外で“生き生きと”働いている秘訣は、自分に合う条件(得意、やりたい事、働き方)に合う仕事を選択している、と気づいたこと。         ③   プロフェッショナルの在り方(仕事に対する態度・日々の研鑽・誇り・ コミットメント)を学び、“真のプロ”になろうと決意した。        ④ 「大きなチャンスが来た時、勇気を出して決断する」 を実行した (『ファッション・ビジネスの世界』の翻訳出版)。

他の登壇者の石黒不二代さん(ネットイヤー・グループ 元CEO)は、「大企業ではなく小さな会社に入った事。自分自身を信じ、裁量権を獲得した。政治的で時間がかかる大企業で時間を無駄にしたくなかった。いわゆる“ロールモデル”を手本に真似ることも考えなかった。人がしないことをする、が重要」 と話されました。

西原口香織さん(JAL 執行役員)の言葉、「キャビンアテンダント時代を通じて、目の前のイッシュー(お客様やサービスにおける困りごとの解決)に、一つ一つ丁寧に取り組んできた。毎回問題は異なる。継続的な挑戦だった」 には、現場での問題解決のリアル体験が、人の成長にいかに重要かを、あらためて学びました。

◆参加者へのキャリア・アドバイス

 最後に、VUCA(変化・不確実・複雑・曖昧)の時代に成長・成功するために、尾原は3つのメッセージを送りました。

  • 生涯の “パーパス”(目的・志・社会的な存在意義)を持とうーー私自身のパーパスは、「女性でも男子と同様に、社会に貢献する。それが可能なことを立証する」 でした。人生の岐路に立った時、あるいは日常的な選択に迷った時、パーパスは、“北極星”のようにガイドしてくれます。
  • 行動しよう。Take Action! 失敗する勇気を持とう!――現代は、選択肢が多く関連情報も膨大で、結果やリスクも予測出来てしまうため、二の足を踏む若者が多い。しかし世の中は刻々と変化し、これまで無かった可能性が生まれている。新しい挑戦には勇気がいるが、失敗を恐れず挑戦してほしい。万一失敗しても、その中から新たな可能性が見えてくる。 失敗から学ぶ、行動してから修正する、それが容易になっている時代だ!
  • あなたは自分の人生物語を書いている。My Story の著者だ。素晴らしい、あなたにしか書けない独自の“My Story” を書いて欲しい。

◆ネットワーキングは素晴らしい! 自分の窓を開け放とう

こういう会に参加するたびに感じることですが、新しい人に出会い、新たなナレッジやインスピレーションをもらい、異文化体験などで自分の世界を広げることは、キャリアにおいて、何にも勝るチャンスです。

実は今回の登壇は、OYWのアンバサダー雨宮百子さんからの依頼でした。雨宮さんは、拙著 『Break down the Wall―環境、組織、年齢の壁を破る』の出版を担当して下さった日経新聞出版の編集者でしたが、彼女に出会ったのは、尾原がファッション・ビジネスの未来について講演した会場でした。私のキャリアに興味を持たれた雨宮さんが、本の執筆を促して下さったのです。小さな出会いが、私にとっては勿論ですが、雨宮さんにとっても、今日の目覚ましい活躍のネットワークに繋がっているのは本当に嬉しいことです。

実は今回も、多くの予期せぬ出会いがありました。同窓生、留学先が同じ、仕事で思いがけない接点があった、などなど。どれもが新たな扉を開いたり、閉じていた窓を再開してくれました。

次世代を担う若い人たちの、OYWに限らず、国際交流への積極的な参画を願っています。そしてそれぞれの皆さんに、洋々たる未来が広がりますように祈っています。                                                    END

 <故 吉田春乃さんの功績を偲び、あらためて日本女性の活躍を願う>

 元 BTジャパン社 CEOで、女性活躍推進組織 「ウィメン20」(W20)の共同代表でもあった、故吉田春乃さんのお別れ会が、9月6日 盛大に行われました。

実は私は、鎖骨を骨折し、このブログも含めて数ヶ月休ませていただいていたのですが、仕事復帰の第一弾が、奇しくも吉田さんの偉業を再確認し、吉田さんのご冥福を祈ると共に、日本女性のこれからの活躍をあらためて祈念する機会になりました。 

 吉田春乃さんは、慶応大学を卒業。入社直前に大病にかかり内定先の大手企業への就職を断念。病の克服後、やっと仕事を得た外資系企業に入ってカナダに渡り、米国や英国も含めたテレコム(通信)関連企業でキャリアを築かれました。その間お嬢さんを出産、離婚も経験され、シングルマザーとして、実力社会のグローバル企業で強靱な仕事への信念と姿勢、そして多大な実績を積み重ねられて、2012年、BT (British Telecom) ジャパン日本法人の社長・CEOに就かれました。

 2015年には、日本経団連初の女性役員に就任。米フォーチュン誌が選出する「世界の偉大なリーダー50 (2017年)」で、唯一の日本人として選ばれたこともあります。

 この間のご苦労はいかばかりだったか。   にもかかわらず吉田さんは、いつもおしゃれで魅力的。お気に入りのアルマーニで威厳と気品を漂わせ、9センチのピンヒールを履いて女性らしく、しかし  パワフルに堂々と行動する女性でした。

 WEFでも、2015年シンポジウムで基調講演者として登壇いただきましたが、そのメッセージには強いインパクトがありました。 「シングルマザーでも、アメリカやイギリスで活躍できたのは、営業をやったから。営業は実績が数字でしっかり出る。これを目指して仕事を取りに行った。営業をやりたい女性がもっと増えることが重要」 と。

 亡くなられたのは6月30日、心不全だったとのこと。3月には W20 共同代表として女性に関する政策提言をまとめ、6月29日に G20サミット(20カ国・地域首脳会議)の政府主催イベントで、「女性が経済的にエンパワーされると、持続可能な開発目標(SDGs)の他の項目も改善される」と熱弁をふるった閉幕の日の翌日でした。「大阪から世界をよりよい社会に変えよう」と訴えておられたのです。

 「多くの女性が経済力を持ち、自分が良いと思うところにお金を投じることができれば、市場は活性化し、よりよい社会につながる」 というのが持論でした。そのために、女性たちを常に啓発し、沢山のメッセージを残してくださっています。

◆    どんな時にも、Graceful な自分でいよう

◆    自分に自信を持とう、そうすればチャンスが現れる

◆    斜め上を見て、口角を上げて笑ってごらん。前向きのことしか考えられないでしょう

◆    Belief を変えよう。そうすれば Behavior が変わる

◆    怖いのは挑戦している証拠。あなた自身の価値に気が付いて!

◆    KEEP YOUR HEELS, HEAD AND STANDARDS HIGH

              ―― ヒールと、ヘッド(頭)と、そしてスタンダードを高く

◆    世界を変えようと思うなら、自分自身を変えよう

  直近では、お嬢さんの結婚を機に昨年8月、BT社と経団連を退任し、英オックスフォード大大学院に行かれて、働く女性の増加によって生まれた新しい市場規模の数値化などを研究しておられたと聞きます。まだまだご活躍頂き、ロールモデルとしても、指導者としても、学ばせて頂きたかったのに、と本当に残念です。

 死因は心不全、ということでしたが、お父様のご挨拶では、不整脈があり、医者にも注意するように言われていた、とのことでした。自分の身体よりも、社会のこと、女性のこと、そしてプロフェッショナルとしてのキャリアを全うしようとする気持ちが、強かった吉田さんでいらしたのだと、あらためて敬服し、またお身体をいたわって下さっていたら、との詮無い思いもつのります。

 心からのご冥福をお祈りいたします。