感性価値創造

<日本が世界に誇れるもの⑥  「日経ビジネス特集」から FBは 何を学べるか?>

 日経ビジネスの「世界に誇るニッポンの商品100」特集(1015日号)は、このところ自信喪失ぎみの日本人に、日本の持っている力をあらためて気付かせ、自信を持たせてくれたと 私は感じました。   私だけでなく、そういう声を多数聞きました。

 これらの商品やサービスが世界で成功している理由は、 

  ① 日本が持つすぐれた要素技術

  ② ユーザー(使い手)の立場に立った問題解決や創意工夫の能力

  ③ まじめで真摯な商品開発の姿勢

  ④ 一過性の宣伝やマーケティングではなく地味で地道な販売努力

  ⑤ ハードとソフトを合体した総合的アプローチ

  ⑤ すべての面での高度な品質、     などにあると考えます。

 この特集が、「誇れる商品・サービス」100点を、4つの領域に分けて紹介したことも、興味深く思いました。 4つの領域とは:

  Part 1 「日本発」が難問を解決する」 ―世界を救う商品・サービス 

  Part 2 「シェアトップつかむ秘密」 ―世界で売れる商品・サービス 

  Part 3 「日常に入りこむ『ニッポン』」 ―世界の暮らしを変える商品・サービス

  Part 4 「安全・快適・愉快を売り込め」 ―日本の未来を創る商品・サービス、     です。 

 Part 1 と Part 2 は、主として “モノ” や “機能”、すなわち物的価値を前面に押し出すものであるのに対して、Part 3 と Part 4 は、主として “ソフトパワー” とも言うべき要素、すなわち “感性” や “情緒” に関わる区分でもあります。

 ファッション・ビジネスが、これらの商品やサービスが持つ優位点と、この分類から 学べることは何でしょうか?  それは、 「技術と機能」 で勝負する Part 1 2 よりは、 Part 3 や 4 の、「感性価値=感性・感動とデザイン・美」 を前面に押し出す商品やサービスの強みです。  言いかえれば、従来型の、あるいは新興国が短期間にキャッチアップ可能な  「ものづくりの技術」 や 「製品の機能」 だけでなく、「エモーション」 を重視する商品やサービスを開発する事だと思います。 「技術と機能」 で勝負する場合でも、その 「技術」 が他国の追従を許さない 圧倒的優位性を持っていること、あるいは提供される 「機能」 が、全く新しいコンセプトで生みだされたものであったり、消費者の 「感性」 にアッピールするものであることが、重要でしょう。 たとえばユニクロの “ヒートテック”や 無印良品 の “直角靴下” は、その好例だと考えられます。

 「感性価値=感性・感動とデザイン・美」 を前面に押し出す商品やサービスの例を、Part 3 の領域(日常に入りこむ「ニッポン」)でみてみると、ハローキティ、精巧な玩具のトランスフォーマー(車や動物がロボットに変形する)やガンプラ(ガンダム・プラモデル)、あるいは女の子向けの細部にまでこだわったシルバニアファミリー(人形の動物たちがミニアチュアの家で暮らすのを楽しむ)、ドラえもん、ポケットモンスター、初音ミク、白鳳堂の化粧筆(世界高級化粧筆市場の過半数のシェア)、などがあります。

 Part 4 の領域(安全・快適・愉快を売り込め)でみると、ゴスロリファッションや 渋谷109系ファッションは、ずばりファッションですが、それ以外でも、geografia(紙製地球儀)、外人が喜ぶ高感度のホテルMume、アルコール0%で世界初のキリン フリー、つけまつ毛や、滑らか書き心地のボールペンのジェット ストリーム、アニマル ラバーバンド(動物の形をしたカラフルな輪ゴム)、さらには勤め帰りの女性むけの、お楽しみと料理の勉強を兼ねた体験型ABCクッキングスタジオ、など、感性や気分、エモーションをビジネスにしているものは、ファッションの世界に繋がるものです。

 ファッションの商品開発というと 私たち業界人は、どうしてもトレンド(流行)だとか、パリの○○デザイナーの新コレクションに注目、といった形で、服のスタイルやデザインに絞って考えてしまう傾向があります。しかし、飽食の時代を経て、また、環境保全やサステイナビリティ、企業の社会的責任、などが重要になっている今、ファッションの世界でも、「流行を創る」、「それを追いかける」ことを超えた、抜本的な変革が求められています。玩具のトランスフォーマーの発想や、日本の伝統的着物の手法(何度も仕立て直し、染め直し、サイズ調節をし、使い古したら、雑巾やはたきにして、最後まで利用しきる)などの衣服の原点に立ち戻って、これまでと全く違うファッション創りを考えることが出来る筈です。

 服作りのコンセプトやデザインの変革では、三宅一生のプリーツ・プリーズが優れた例だと考えます。また、未来へ向けての先駆的なものとして、2010年8月に発表された「132 5. ISSEY MIYAKE」があります。これは、三宅一生の現在進行形のプロジェクトですが、折りたたむ事で平面と立体を結びつける斬新なデザイン・アプローチによる画期的な服です。ポリエステル再生繊維を独自の工夫と織物工場などの協力で 人が着用出来るようしなやかにしたもので、2012年の毎日ファッション大賞 「30周年記念賞」を授与されました。量産にはまだ時間がかかると思われますが、ファッションとデザインに、新たな境地を切り開くものと考えます。  (http://mds.isseymiyake.com/mds/jp/collection/ 参照)

 イギリスの経済誌エコノミストの 元編集長ビル・エモット氏が強調するように、「日本人には知恵と創造性がある。、、日本の資産は、製造業でもインフラでも技術でもなく、“人” にある」のです。(日経ビジネス誌「2013徹底予測」)

 ファッション・ビジネスの新たな価値創造と、ビジネスのグローバル化が喫緊の課題になっている今、日本人自身が、日本の製品や技術に、そして何よりも、「日本人の創造力・創意工夫力」 に自信と誇りを取り戻し、あらためて「世界に求められ、愛される商品やサービス」を開発・提供したい、またそれは可能である、と痛感します。

<日本が世界に誇れるもの ④  「日経ビジネス特集 Part 3 から」>

  日経ビジネス(10月15日号)の「世界に誇るニッポンの商品100」特集の、「誇る商品」4分野のうち、今回は Part 3 「日常に入りこむ『ニッポン』=世界の暮らしを変える消費・サービス、について、その感度、精度、ユニークな発想と工夫の数々を御紹介します。

 このPart 3 では、冒頭の見開き2ページを割いて、ハローキティを取り上げています。日本のカワイイの代名詞的存在のキティちゃんは、世界109の国・地域で販売され、子供ばかりでなく大人にも愛され、レディ・ガガ もファンだという、日本の Cool (かっこいい) 文化の象徴ともいえる存在です。 何年か前に米国の最高級ファッション専門店チェーンのニーマン・マーカスが、ホリディの特別商品にダイヤとルビーをちりばめた約5000ドルのペンダントなどを売りだした 時も話題を呼びました。数年前からライセンス事業に舵を切り、世界2000社以上と取引するようになり、色々なデザインのキティちゃんが登場していますが、いずれもその基本イメージは日本のサンリオが管理しています。デザインではなく、キティちゃんの「かわいさ」、という「感性価値」を創造し、マネジメントする日本企業が出てきたことは、本当に誇るべきことだと思います。

キティちゃんの「かわいさ」について、興味深い話があります。何年も前のことですが、キティちゃんのぬいぐるみを中国の工場に発注していた会社の社長から聞いた話です。どうしても製品に「キティちゃん」の可愛さが出て来ない。眼と鼻をつける位置に原因があることが分かったので、工場にその指摘をすると、「完全にスペック通り作っている。ほら、ここが○○センチ、こちらも△△センチ。指示通りじゃないか」と譲らないのだそうです。確かに物差しを当てるとそうなのですが、ふわふわした布地の上では、寸法だけで片付けられないものがある。日本から持ち込んだサンプルと比べて見せて、「ほら、こっちの方はかわいいでしょう?」といっても、全くそれが理解されない、という実体験をされたとのことでした。

Part 3 日常に入りこむ「ニッポン」=世界の暮らしを変える消費・サービスで紹介されている 41の事例をあげてみましょう。先のキティちゃんを筆頭に、ガンプラ、スケールモデル、ベイブレード、シルバニアファミリー、大英博物館公式販売モデル、トランスフォーマー、ドラえもん、ポケットモンスター、NARUTO、マリオ、初音ミク、バイオハザード、電池時計、G-SHOCK、メラノリデュース、「HUD」カーナビゲーションシステム、温水洗浄便座、世界最速エレベーター、Tofu、SoySauce(醤油)、ヤクルト、カニカマ、ジャパニーズ・ウィスキー(竹鶴、山崎など)、リポビタD、デニム生地、MUJI、TENGA、ユニクロ、コンビニエンスストア、100円ショップ、ヤマハ音楽教室、BOSSシリーズ、YANAGISAWA(楽器サックス)、ゴルフシャフト、数独、化粧筆、釣り具、KUMON、などです。

これらの中には、日本でなければ絶対に生まれなかっただろうと思われるものがいくつもあります。たとえば、アニメやマンガ、大人でさえはまる高度な組み立てのトランスフォーマーやガンプラ、おもちゃやフィギュア、プラモデルなどは、日本人特有の繊細さと器用な手先、技巧と技術が、生活の豊かさに結びついて生んだ、高度な「あそび思想」を結集させたものといえるでしょう。 食品も、日本人の優れた味覚と健康志向が作り上げたもの。 サービス分野でも、コンビニの完成度の高さ、百均ショップの多様な品ぞろえと品質、MUJIやユニクロのシンプルで高度な精神性を核とするコンセプト、数独やKUMONといった知的な領域に至るまで、世界で抜きんでた優れたものがあります。日常生活を、より豊かに楽しく便利に、しかし合理性や機能性だけの追求に終わらせないで、情緒や感性を大事にする、という日本の価値観、いわば DNA が息づいていると改めて感じるのです。

<ファッション・ビジネス領域の広がり――ビューティとファッション>

「ファッションとビューティ―-感性価値創造に取り組む先端ビジネス」のテーマで話して欲しいとの依頼を受けました。学校法人 メイ・ウシヤマ学園が設立したハリウッド大学院大学のエクステンション・スクールでの講演です。(6月6日18:30~で参加は無料ですが、事前の申し込みが必要です。申し込みはhttp://hollywood.typepad.jp/mba/files/20120606.pdf で) 

「ビューティ」とはせまい意味では「美容」ですが、もともとの意味は、「美」であることは言うまでもありません。私は美容の専門家ではありませんし、エイボン・プロダクツ社の社外役員も務めましたが、毎朝のお化粧に5分も使わない人なのです。けれども「美しくありたい」との願いは一般の女性と同様に強いと思っています。

「ファッション・ビジネス」はアパレルやアクセサリーのビジネスと思う人が多いようですが、実は「美」を扱うビジネスとしての化粧品は、アパレルよりも歴史も古く、「高付加価値」、すなわち製品の物的価値(原料費や生産コスト)を遥かに上回る小売価格で販売されるという意味で、アパレルの大先輩といえるでしょう。トップモデルを起用し膨大な広告費をつぎ込んで、世界的なブランドに育てることにより、巨大なビジネスを確立した企業が多いからです。

「ザ・ファッショングループ・インターナショナル」という女性プロフェッショナルの国際組織がありますが、1928年にニューヨークでこの会を立ち上げた女性リーダー17人には、エレノア・ルーズベルト大統領夫人、ヴォーグの編集長に加えて、エリザベス・アーデンやヘレナ・ルビンシュタインなど美容界の大物が名を連ねていたことからも、その重要性が分かります。(アパレル関係者はまだいませんでした。)

ファッションの領域は大きく拡大

「ファッション」と 「ビューティ」 ビジネスの相違点は多いのですが、当ブログのテーマ、「時代の潮流」として見ると、重要な共通点があります。

それは、生活が豊かになり人々が個性的になった事により、「服」も「化粧品」も別個で無関係なものではなく、個人の生活や生活スタイル(ライフスタイル)あるいは人生を作る重要な道具になって来たこと。そのために、ファッションもお化粧も、自分に無いものを外から着せつけたりメイクアップする(補う)のではなく、個人が持っている良さを引き出す方向に動いている事です。 (図はアパレルを中心としたファッションが、個人の生活・生涯作りに関わる領域に広がっている事を示したものです)

また、ファッションやビューティを考える上で、「健康」や「環境」、「心・情」(精神や感情)、「知・美」(知恵や美意識)などが、重要になっていることも付け加えたいと思います。

奇しくも先週発売された「ヴォーグ」誌の7月号は、いまヴォーグが世界に向けて出来ることは何かを考えた結果、「ザ・ヘルス・イニシャティブ」プロジェクトを全世界のヴォーグが一体となって推進することを宣言しています。不健康なほどに痩せたモデルを見て、読者が無理なダイエットをしたり、また、精神的にも身体的にも未成熟な少女モデルを見て「理想のボディ」と誤解する事が無いように、「ヴォーグは今後、16歳未満のモデルや、摂食障害を抱えたモデルを起用しないことを決めた」というものです。

また、5月31日付のニューヨーク・タイムス紙は、ファッション欄で、「黒人女性は自然の縮れ毛へ移行」の記事を掲載し、「これまでストレートヘアにする為に化学物質を使ってきた人たちが、自然回帰している」と述べています。

より心地よい生活、より美しい自分を作るために、私達は次のような進化をしてきたと思います。

「身づくろい」→「身だしなみ」→「おしゃれ」→「流行」→そして今「スタイル」。ここで言うスタイルとは、「My Style」とでもいうべき「自分ならでは」、「自分の個性が生きている」ファッションです。

これからの時代の価値創造は、この、個人の個性と感性にアッピールする「感性価値の創造」、つまり「個人が自分の価値基準で感知し評価する情緒的価値」の創造と提供でなければならないと、私は考えています。