Japan Fashion Now 展のねらいは、何だったのでしょうか?
スティール氏は、1980年初頭に“ファッションの未来”と言われた日本が、“今も革命の先端にいるか?”(Is Japan Still the Future?)の問いに応えるべく企画したといいます。
「1980年から今日までの日本ファッションに関する自分の解釈を表現した」とするスティール氏は、Japan Fashion Nowを、大きく4つの東京の未来的光景に分けて提示。広い会場に表参道、銀座、原宿・渋谷、秋葉原と4つのプラットフォーム(ステージ)を設定しました。正面には伝統を象徴する銀座和光ビルを背景にアバンギャルドなメンズを配置。(スティール氏によれば、メンズウェアが日本の最も革新的な分野)。左には、表参道のハイファッション、右には渋谷・原宿の若者ファッション(ポップやストリート・ファッションなど)、入り口近くには秋葉原のコスプレ、を配置するという、際立った展示手法をとりました。ファッション・アイテムを、それぞれの街の目立ったビルをコラージュした風景の中に置いて見せたのです。
ファッションの展覧会といえば、製品や作品を1点づつ個別に解説する形式がほとんどであるのに対して、日本のファッションを4カテゴリーに分け、コンテンツ(作品や製品)を街・界隈というコンテキスト(文脈・環境)で見せる、という手法は、今日の日本文化とファッションの独自性を伝えるのに最適の方法であると、私は非常に感銘を受けました。異文化の紹介は、その一部分だけを切り取っても、伝わるものではないと私は考えているからです。 (写真はFIT提供。革新的なメンズを置いた銀座の街と、右側に 原宿・渋谷の街に置いたヤング/ストリート・ファッションのステージ)
また、左側の表参道界隈に置いて見せた、ハイファッションのデザイナー服やハンドバッグ(村上隆のルイビトンなど)の多くも、右側の新しい若者/ストリート・ファッションと関連付けて提示されました。例えば、三宅一生(滝沢直人)では日本のポップアート・インスピレーションのプリントを(高野あやのMOON)。川久保玲とそのチームでは「7色の黒」からピンクへの移行を。(ピンクは、カワイイのロリータ・ファッションにつながる女の子、と同時に新しいアーティストのエロティックな世界)。あるいはジュンヤ・ワタナベのコルセット・スタイルのデニムドレスなどを。
ほかにも、高橋循(Undercover)はキュートと恐怖を、また新テキスタイル技術を(日本デザイナーが優位に立っている領域)。SACAIの阿部千登勢は、ベーシック・デザインを新たな洗練へ。MATOHUの堀端裕之と関口真紀子は桃山時代のアートの美意識を抽象化し今日的に、といった新たな取り組みが紹介しています。
「1980年代初頭、世界に衝撃を与えた日本ファッションは『アバンギャルド』でした。
日本ファッションは今も引続き、世界の先端的な位置を占めています。しかし今日の日本ファッションは、80年代のいわば第一波の知的なアバンギャルド性だけでなく、若者志向の多様なストリート・スタイルを包含するものになっています。日本ファッションが世界で重要な位置を占めているのは、まさしくこの、アバンギャルド性(美意識を高級アートの域にまで押し上げる)の要素と、サブカルチャー的あるいはストリート的スタイルの両要素をミックスしているから、なのです。」
日本のファッションは、過去の上に積み上げながら、未来へ移行している、とスティール氏は強調します。
「ただ一つ、問題なのは、これらの優れたクリエイティビティを、どうやって世界にコミュニケーションするかです。」 スティール氏の提言は、次回に紹介したいと思います。