ファッション

< FIT美術館 「 FAKING IT  展」―― “ マネものつくり ”  と ファッションを考える>

  今日から東京ファッションウィークが始まりました。2015年秋服のコレクションを、52のデザイナーや企業が発表します。 どのような新しいコンセプトやデザインが出てくるか、非常に楽しみです。

  時を同じくして、いま 「FAKING IT – Originals, Copies, and Counterfeits」 と題する、非常に興味深い。また画期的な展覧会が、ニューヨークの FIT 美術館で開催されています。テーマの 「FAKING IT」 は、訳せば 『それの、マネものをつくる』 とでもなるでしょうか? でも “Fake” という言葉には、単純な “コピー” よりも強い “まがいもの” のニュアンスがあります。辞書を引くと、“Fake” とは、「にせの、模造の,まがいの」 とありますから、Faking It は『まがいもの作り』とでも訳せるかもしれません。 要するに、人をだます目的で行う偽造やコピーをすることです。  (画像は展覧会のチラシ。シャネル1966年のファンシーツイードのスーツ。左が本物、右が、“Line-for-Line Copy” =ライセンス契約に基づく正規のコピー)

  「FAKING IT展では、そもそもデザイナーのライセンス契約とディフュージョン・ライン(セカンド・ライン)が、“オリジナル”の定義をあいまいにしてきた、と、その歴史を検証し、提示しています。

  オリジナルであることを表示した元祖は、初代のクチュリエというべきチャールズ・フレデリック・ワースです。かれは1860年代初頭に、ラベルに自分の署名を書きこむことを始めました。画家が自分の作品に署名をするように、本人の作品であることを証明するためでした。しかし同時にそれは、偽造者 (Forger) にとっては魅力的なターゲットになった、というのも皮肉なことです。20世紀に入ってポール・ポワレも、自分のデザインが米国で、ラベルも含めて違法にコピーされ 13 ドルの安値で売られているのを発見し、米国ではファッション・デザインはCopy Rightで保護されていなかったため、自分のTrademark とデザインを登録するために、ポワレ自身が世界で戦った、との説明もあります。

 第二次大戦後、それまでは超富裕階層の特権であったオートクチュールが、経済力を持ちはじめた人々の憧れとなりました。そして正式にコピー権をとってコピー商品を売るビジネスを、米国の高級店であるバーグドルフ・グッドマンがスタートし、その後のライセンス・ビジネスの土台を作りました。1780年代には、デザイナー自身がビジネス拡大のため、ディフュージョン・ライン(いわゆるセカンドライン)を開始。 かくして、デザイナーのオリジナルは、そのエッセンスをどんどん薄められながら、拡販してゆくことになりました。

 展覧会では、そのほか、デザイナーが他のデザイナーやブランドからインスピレーションを得たケース。あるいは有名ブランドのロゴマークをパロディ 的に使った興味深い例も展示されています。詳しくは、ウェブをご覧ください:  http://www.fitnyc.edu/22937.asp

  「ファッション」の本質は、Follow the Leader (リーダーに続け)。つまり、かっこいい人や、憧れる人のオシャレを追従する事にあります。その基となるのは、つねに「オリジナル」です。そしてそれが、“魅力的”に見えることで、追従する人たちが市場を生みだし、企業がビジネスとしてこれに取り組むのです。テーマの副題である、「– Originals, Copies, and Counterfeits」 (「オリジナル、コピー、偽物」) は、多くの疑問を投げかけています。 偽物がはびこること、とくに、製品のデザインばかりでなくロゴまでそっくりまねた『偽物』が何百億ドルに及ぶ世界市場を形成している事は、悩ましい問題であり、何としても無くしたい問題です。しかし「コピー」とは、どこから、どこまで、なのか? それはどこまで許されるのか?

  我々ファッション業界は、「コレクションからトレンドを読みとり」、少しでも早く「そこから得たアイディアを自社の商品に取り入れる」ことを、当然のように行ってきました。この展覧会で、ファッション・ビジネスが、実は、コピー、あるいは、アイディアやインスピレーションの借用・盗用、の上に成り立っている、という事実を突き付けられる思いがします。

  人々の価値観が変化し、自分の個性やアイデンティティを重視するようになって、「流行」に、あるいは人に「追従する」 傾向が弱まり、「本物」が求められるいま、あらためて、「ファッション」と「コピー」について、真剣に考える必要があると痛感します。

  御意見をお待ちしています。

<『ファッション・ビジネス』を振り返って②――繊研新聞「私の歩み」に思うFBの変遷>

 「ファッション・ビジネス」の言葉の日本における起源を、先回書きました。

今回は、その進化と発展を大まかに振り返り、今、ファッション・ビジネスと人材育成に何が求められているかを見てみたいと思います。

日本の「ファッション・ビジネス」は1968年の拙著「ファッション・ビジネスの世界」が紹介して以来、高度成長の波に乗って、急成長しました。が、68年当初では、既製服は婦人服ではまだごく一部でサイズもほとんどがワンサイズだった、イージーオーダーが全盛の時代。そこで人気が出たのは、ニット。伸び縮みするのでサイズのカバー率が高いため、横編みのセーター類や丸編みの裁断ものが急成長し、「ニットブーム」と呼ばれたほどでした。繊研新聞の「私の歩み」(上)でも、ニット素材が得意のアクリル繊維カシミロンを使って、どんどん輸入される最新のニット機械で商品開発をした事が書かれています。  (カット「私の歩み」は、下記でご覧下さい)

https://docs.google.com/file/d/0BzE3RYNox6uLT3JtWVpQVXpLMGs/edit?usp=sharing&pli=1

 日本におけるファッション・ビジネスの進化と発展には、非常に興味深いものがあります。1950年代は、戦後の食うや食わず状態から復興し、「洋裁」が一般女性の間に広く普及し、百貨店が特別客を招いて開催するパリのオートクチュール・メゾン(デザイナー)のファッション・ショーに、憧れを掻き立てられた時期でした。次いで60年は、流行色とアクリルやポリエステルの新素材による新製品の開発とプロモーションが盛んでした。この時代、ファッションの主導権を握っていたのが、素材メーカーだったことも時代を特徴づけるものです。たとえば東レの「トニーザイラーの黒」(映画「黒い稲妻」で大ヒットしたオリンピック三冠王のスキーヤー)や「シャーベットトーン」のキャンペーンなどです。

 1970年代は、アパレル・ビジネスの急成長期。旺盛な消費者のファッション製品購買力に支えられ、アパレル製造卸は、2度の石油ショックにも、素材テキスタイル企業ほどの打撃をうけることなく、拡大しました。この時代は、流行としてのファッションを、いかに魅力的な商品ラインに組み上げ販売するかが重視されました。世界中の主要ブランドとのライセンス提携がどんどん行われ、日本のファッション化が進んだ時代でもあります。 80年代は、70年代から育ち始めたマンション・メーカーと呼ばれる小規模のクリエイティブ活動などが、いわゆるDC(デザイナー/キャラクター)ブランドに発展し、これを個性化が始まった日本の消費者が支持する中で、日本独自のブランドが生まれ、パワーを持ち始めた時代です。80年代初頭は、世界でも日本のデザイナー(川久保玲や山本耀司など)が、西洋社会のファッションの価値観を根底から揺さぶるコレクションを発表した画期的な時代でもありました。「黒やボロ」等と揶揄されながら、その新しいアプローチは世界に衝撃を与え、日本の存在をアッピールしたのです。1985年のプラザ合意による円高と、バブル経済の拡大で、海外の高級品の日本侵入も加速しました。

 1990年代は、前半はバブルのピークとその崩壊に、ファッション業界が揺れた時代。「価格破壊」が流行語になり、ディスカウント業態の台頭や、流通コスト削減とビジネスの一環コントロールを狙うSPA(垂直型製造小売業)の台頭。またIT活用によるサプライチェーン革新なども始まった時代です。 2000年代は、インターネットの普及によるネットビジネスが拡大。ファッションでは、グローバル化の進展に伴う、ラグジュアリー・ブランドの急成長やZaraやH&Mといったファストファッションが日本市場を席巻し始めました。 またファッションは、服だけでなく雑貨や食・住など、生き方(ライフスタイル)に広がり、日常化、民主化したのもこの時期です。ストリート・ファッションも力を持ち始め、いわゆる 「コレクション」や「クリエ-ティブ・デザイナー」のあり方、についても、議論がなされるようになりました。

2010年代は、2011年の東日本大震災が、生活者の意識と行動に大きなインパクトを与え、「生きることの意味」を再確認し、「人との絆」、「自然との共生」、「社会への貢献」、などが、新しい価値基準として重要性を持ち始めた時代といえるでしょう。2008年のリーマンショックが露呈したによる世界経済メカニズムへの懐疑、里山経済論などへの共感など、「お金儲け」の考え方も、変化しはじめています。 そして、モバイル(スマホやタブレット)の急速な普及とソーシャル・メディア(いわゆるSNS)により、生活者が「自らの情報収集や判断・行動を行う個客」として、これまでになかったパワーを発揮する、新しい時代が始まりました。

 この新しい時代に求められるものは、独自性と優位性ある商品、狙う顧客が価値を認める 『信頼される』ブランドづくり、グローバルな競争力、そしてこれらを達成するためのICTの効果的活用、です。 これはいずれも優れた人材に依存する部分が大きい事は言うまでもありません。

 11月19日に、FIT大学院のGFM(Global Fashion Management)コースを紹介するセミナー(無料)を、FITから2名の教授を招き、18時からユニクロの本社会議室をお借りして開催します。次回はそのコースの概要を通じて、いま世界的に必要とされる人材育成について書きたいと思います。

<FBのNew Normal (新しい常態)⑦>  「太めでもチャーミング」

 先回、ファッション・モデルが、現代女性の願望体型である「細身」「9等身」でなければいけないか? の問題提起をしました。「ファッションは、スリムで背の高い人でないと美しく着こなせない」というのは、長年にわたってファッション業界が消費者に刷り込んだ「願望イメージ」であり、実態はそれとは程遠い体型の人がほとんどなのに、その人たちも何とか理想形に近付くために無理なダイエットなどをする事の問題についてです。

 女性の美しさとは何でしょうか? 歴史をさかのぼれば、かの有名なサンドロ・ボッティチェリが 15世紀の終わりごろに描いた「ヴィーナスの誕生」や「春」に登場する3人の女神が、ふくよかな美しさに輝やいているのも見るまでも無く、「女性の美しさ」は時代とともに変化しています。(写真は、ボッティチェリ作「春」の一部で、春の自然の中で戯れる3美神)

 しかし、幸いなことに最近は、リアル・クローズが求められ、健康的美が時代の潮流になることにより、長年「大きなサイズはカッコよく見えないため」扱わない、の方針を通してきた有名ファッション店でも、欧米では大きなサイズの売り場を拡大するようになりました。売り場の名前もアメリカなら「プラス・サイズ」とか「フルサイズ」等のオシャレな名前を付けています。(間違っても、「イレギュラーサイズ」などとは言いません。)

例えばニューヨークのブルーミングデールズ百貨店もその好例ですが、商品の範囲は外衣ばかりでなくインティメート(インナーウェア)にまで広がり、写真にあるように、フォーカル・ポイント(売り場の中心となる)ディスプレイに、豊満なマネキンを置いています。このブランド Agent Provocateur (エージェント・プロヴォケイター)は、英国のデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドの息子が立ち上げたランジェリー・ブランドですが、ブランドの名前も映画「007」の美人スパイを想起させる「挑発的スパイ」というユーモラスなもの。デザインも大胆で斬新、繊細なレースや刺繍は、太めの人でも遠慮せず、堂々と美しさを競って欲しい、といったメッセージを発しているように思います。(このブランドは、太めのサイズだけを扱っているのではありませんが。)

デザイナーのダナ・キャレンは、決してスリムな体型の持ち主とは言えませんが、肩の大きく開いたドレスやドレープの美しい服を身につけ、チャーミングかつ堂々と活躍しています。彼女は、米国の、キャリア服の草分けであるアン・クラインのチーフ・デザイナーとして高い評価を得た後、独立して、アン・クラインのラインとは一味違う柔らかな、ジャージーなどを多用したラインで一時代を画しました。1980年代中ごろに大ヒットとなった彼女のストレッチのボディスーツが、仕事もファミリーも両立させようとする活動的で多忙な女性に、圧倒的支持を受けたことを懐かしく思い出します。ダナ・キャレンがオシャレと機能性を併せ持つボディスーツを開発出来たのは、まさしく、やや太めの自分の体にフィットさせたいニーズがあったからかも知れません。

 カール・ラガーフェルドは今年の3月、8年ぶりに来日して、「日本人女性は大きく変わった。太っていて美しい」という意味深長な発言をしました。「私は日本人女性たちがより太り、より魅力的になったことに気付いた。それはおそらく以前よりも多くのケーキやお菓子を食べているからだろう。」と記者団に対して語ったといいます。いつも辛辣なコメントを発して話題になるラガーフェルド氏ですから、これも辛辣な皮肉なのかと思いましたが、WWD紙によれば、彼は ”It’s changed a lot but it’s changed for the better I think. ,,,,, There’s a real change in the look of the Japanese people. Normally, before, they were all tiny. It’s the kind of beauty you get from junk food.” と述べたとの事。つまり「大きな変化だが、いい方へ向けてだ。、、、日本人のルックスは本当に変化している。以前は皆とても小さかった。身体によくない食べ物を食べた結果の美しさだ」。 彼特有のひねったユーモアだとしても、小柄で子供っぽかった日本女性が、大きく美しくなった、と解釈したいと思います。

 「太めでも美しく」、「高齢でも美しく」。 それをサポートするのがこれからのファッション・ビジネスだと考えます。