FIT(NY州立ファッション工科大学)

繊研新聞<寄稿>「ファッション・ビジネス回想60年:その誕生・発展・変容と未来」㊦ ―世界を知り、自社の強みを知る      (IFIビジネススクール元学長 尾原蓉子)

米国に学んで急成長した日本のファッション・ビジネス(FB)も成熟し、バブル崩壊で表面化した金融危機を経て21世紀に入ると、次々に起こった巨大な変化が社会と価値観を激変させました。01年の米国同時多発テロ、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍などで人々は「生きること」「人間らしい幸せ」を真剣に考え、個人としての〝Me(私)〟がビジネスを主導する時代に入ります。

(IFIビジネススクール元学長 尾原蓉子)

【関連記事】《寄稿》ファッション・ビジネス回想60年㊤ 米国に学んだ企業戦略の考え方、(尾原ブログ https://yoko-ohara.com/ 2025.12.15掲載)

WEF5周年シンポジウム 柳井氏との対談

テクノロジーの急激な進展も加わりECビジネスが拡大、苦戦する百貨店業界の大手合併など業界構造も激変しました。ファッションは、21世紀初頭のユニクロ/マルキュー現象、ファストファッションの台頭やラグジュアリーのにぎわいもありましたが、衣料品などの国内市場規模は、ピークだった91年の15.3兆円から漸減、23年には8.6兆円になりました。そしてサステイナビリティーの潮流。国連のSDGs(持続可能な開発目標)やEU(欧州連合)主導のESG(環境・社会・ガバナンス)規制が、CO2(二酸化炭素)排出量が2番目に大きいとされるアパレル産業に変革を迫っています。大量生産・大量消費時代は終わり、サステイナビリティーは今や事業運営の大前提。リユースや循環型経済の構築が不可欠です。

しかし、うれしいことにアニメやゲーム、食べ物、音楽など日本文化の評価が世界で高まり、インバウンド客も増加。観光以上に日本ならではのイマーシブ(没入)体験を求める動きが強まっています。つまり日本の独自文化を世界に展開する土壌ができ、日本に大きなチャンスをもたらしているのです。この寄稿に、これらの変化と、未来へ向けた筆者の想(おも)いを記します。

物作りとブランド創り

「実学」を理念とするIFIビジネススクール(財団法人ファッション産業人材育成機構)が98年、正式に開校。通商産業省(現経済産業省)の肝いりで、東京都、墨田区と業界が拠出した50億円の基金で、「業界による、業界のための、業界の教育機関」の念願が実現しました。開校時のコースは、マスター(全日制)、プロフェショナル(夜間)、マネジメント(幹部向け集中講座)で、大学新卒から企業幹部までをカバーする実学教育。カリキュラムでは、当時珍しかった「ITスキルの習得」や「FB英語」があり、「海外研修(欧・米・中国)」も、米国FIT(ファッション工科大学)やIFM(フランスモード研究所)の協力を得て毎年実施しました。

特に重視したのは、FBの三つの柱、創・工・商(クリエイション、物作り、ビジネス)を束ねるマネジメント力の開発でした。「工」は、日本の得意分野。これを深めるべく、産地向け「事業創造セミナー」や学生向け「産地研修」なども開催しました。なかでも画期的だったのは、「解体で学ぶ物作り」。背広を例に、衣服の製造プロセスを最後の工程(ボタン付け)から、1段階ずつ全工程をさかのぼって分析する実習です。これを視察した欧州の有名ファッション大学学長から「これを使わせてほしい。著作権は?」と聞かれたのを思い出します。

「ヨーロッパのブランド創り」の海外研修では、サンローランのアトリエ、ベネトンの企画工房などを訪問。特に感銘深い学びは、ルイ・ヴィトン創業の地、パリ郊外のアニエールにあるアーカイブ館でした。創業家の住まいや工房に隣接するセレブやプレスしか入れない館を、同社の特別の計らいでIFIの学生が見学しました。

富裕顧客の衣装箱を作る職人からスタートし成功を遂げたルイ・ヴィトンのコンセプトは「旅」。移動手段の進化(馬車から船、列車、自動車、航空機へ)に合わせ、適切な材質や形のトランクやバッグを創造。館にはそのアーカイブと同時に「旅」に絡む道具や製品を展示。日本の薬売りが使った超ミニてんびんばかりや、家紋コレクションもあり、その広く深いリサ―チ、職人技重視のDNAを実感しました。ルーツを大事にし、遺産・伝統を守り育てながら、時代に対応していく老舗ブランドのパワーを学びました。

世界を変えたITとAI

インターネットの登場以来、ITはFBを大きく変容させました。POS(販売時点情報管理)レジとバーコードの普及に始まったデジタル化は、その後のQRコードやRFID(ICタグ)とともに、在庫管理やサプライチェーン管理を革新、さらにECの拡大に伴いオムニチャネルによる顧客接点の再構築へと発展。直近では、生成AI(人工知能)、エージェントAIの急成長で、DX(デジタルトランスフォーメーション)が喫緊の課題に。サステイナビリティーやトレーサビリティー(履歴管理)実装の手段としても不可欠になっています。

技術革新を生活者からみれば、パソコンからスマートフォンへ。旧大型コンピューターを超える処理能力のスマホを手のひらで操り自分の世界を創る〝個人主導時代〟の到来は、多様なSNSの活用と、コンテンツ生成技術で、個人が文化コミュニティーに能動的に参画する「参加型文化」の発生をも促しました。

AIが一部のホワイトカラーの職を奪うという問題はありますが、完全に人間にとって代わることはないでしょう。肌感覚や好奇心、さらに職人が体で覚えた暗黙知的なスキルは、人間だけが持つ、人間的な喜びをもたらす、低コストの能力です。FBは、職人技を生かし、AIを使いこなすことで、チャンスがあります。

08年のリーマンショックはファッション産業にも大打撃を与え、〝ディスラプション(秩序などの崩壊)〟、「破壊的革新」が起こります。

ファッションのレンタル(Rent the Runway)や、度入り眼鏡の低コスト・ネット販売(Warby Parker)などのDtoC(消費者直販)をはじめ、テクノロジーをフル活用する若者が相次ぎ起業。ユニークなCtoC(消費者間取引)も台頭、ビジネス界は様変わりしました。(参照=拙著『Fashion Business 創造する未来』繊研新聞社)

『Fashion Business想像する未来』 尾原蓉子著(2016年繊研新聞社)

さらに、20年のコロナ禍で人々は、改めて人間の生死、自然界との共存の重要性を再認識します。ソーシャル・ディスタンスや在宅ワークで拡大する孤立感を、思いやりやコミュニティー活動で癒やす動きも。地球環境保全・サステイナビリティーへの取り組みも強まりました。

FBの大きな変容・変革を、私は次のようにとらえています。

  1. ファッション:「流行」から→「ライフスタイル」へ
  2. 消費者:「消費する人」から→「生活者」へ、さらに「自分物語の著者/販売者」へ
  3. 利用価値:「モノ(所有)」から→「コト(体験)」へ、さらに「自ら創造する体験」へ
  4. 顧客ターゲット:「セグメント」から→「個人」へ、さらに「Me=私」へ
  5. ビジネスの主客転倒:「売り手」の論理から→「買い手(利用者)」の論理へ
  6. ビジネス視座:「ドメステック(国内)」→から「グローバル」へ
  7. メディア:「マス」から→「ミニ」へ、さらに「SNS」へ
  8. 文化:「消費型」から→「参加型」へ、さらに「共感型」へ
  9. 創造エネルギー源:「知識」から→「好奇心」「好き」へ
  10. 企業活動:「利潤追求」から→「社会善」「幸福な人生づくり」へ

ビジネスの新ルール

米国のビジネス誌『ファストカンパニー』が20年、示唆に富む「ビジネスの新ルール」を発表しました。〝アントレプレナーのバイブル〟と呼ばれる同誌は、ハーバード・ビジネスレビュー出身の編集者がITバブルの95年に創刊。当時掲げた「四つの教義」は、①ワーク(仕事)はパーソナル、②コンピューターはソーシャル(人とのつながり)、③知識はパワー、④ルールを破れ――優れた先見性でした。

その『ファストカンパニー』が、コロナ禍に「次なる25年の新ルール」を発表しました。①働く場に民主主義を、②コミュニティーに投資せよ、③パーパスを明確に、④本物・正直であれ、⑤好奇心が新通貨、⑥変化が常態――。

発表後の5年を検証しながら、この六つのルールの洞察に私は共感しています。

未来を創る強い「想い」

「未来は予測するものではなく、創るもの」。VUCA(変動・不確実・複雑・あいまい)といわれる現在。模範答案のない時代に、未来へ向けて事業を進めるには、自らの強い「想い」と「願望」が必要だと私は考えます。

創業40年で世界のアパレル専門小売りトップ3となったファーストリテイリング創業者の柳井正会長兼社長は、日本企業成功へのメッセージとして下記を挙げます。

「世界を見よ!」、「自社のDNAが何かをしっかり見極めよ!」、「成功しようと思え!」、「その目標から逆算して動け」、「学ぶだけでなく実行せよ」、「人が大切」。

未来を創るヒントに、二つの事例を紹介します。

■丸井

DCブランド時代をリードした丸井は、経営の危機に瀕(ひん)した07年から経営の考え方を大転換。社員や顧客の「働きがい」「生きがい」を重視。社員が自発的にチャレンジする「手上げの文化」を醸成し、「やらされ感」ではなく「好き」で取り組む仕事を拡大。全てのステークホルダーの「しあわせ」を共に創る「共創経営」を掲げ、「『好き』が駆動する経済」に取り組んでいます。

小売りよりフィンテック事業が大きくなり、ビジネスがモノからコトへシフトする中、「好き」が駆動する価値創造は多彩。例えば「エポス・ペットカード」では、愛犬の写真をカードに印刷。利用のたびに自慢のペットを披露できるし、このカードしか使わなくなる利点を獲得。利用額の0.1%は保護犬・猫の処分問題解決のプロジェクトに寄付される、といった利己と利他の両立を実現する仕組みです。「好き」は、ミュージアムに、お城に、と広がります。「推し活」や「キャラクターブーム」「コラボブーム」も「共感型購買」を促進、「好き」の効用を拡大します。

青井浩社長は、「1000億円のビジネスが一つあるより、1億円のビジネスが1000ある方が多彩で豊かな社会だと思う。インターネットやAIのおかげでそれが可能になった」と言います。

■CFCL

高橋悠介氏がデザイナーとブランド代表を務める「CFCL」(Clothing For Contemporary Life)は、20年創業。2年でパリ・コレクションにデビューし、Bコーポレーション認証を取得するなど、劇的な成長で世界が注目するブランドです。「CFCLが未来の方向性を示唆する」と私が考える要素は、次の通りです。

  1. 大型ブランドと競合しないニッチ狙い=ニットを核に、創造性とテクノロジーを高度に合体。
  2. ユニークなデザイン・コンセプト=コンピューター・プログラミングによる構築的フォルム。
  3. サステイナブル=省資源・省エネ・国内生産。ニット(糸がそのまま製品になる短い製造プロセス)を縫い目のない島精機製作所「ホールガーメント」で。使用素材の7~8割は再生ポリエステル。
  4. Bコーポレーション認証取得=日本アパレル第1号。審査5基準「地球環境・社員・顧客・コミュニティー・ガバナンス」をクリア。

日本的なデザインと物作りの思想は、高橋氏がメンズのデザイナーを6年務めた三宅一生の哲学を引き継ぐものと推察します。世界を知る高橋氏は、「今、日本文化の世界評価は高く、市場の素地はできている。海外の多様な人々を観察し、日本の伝統と向き合い、世界で売れるプロダクトを考えるチャンス」と語ります。

            CFCLを象徴するコンピューター設計のPOTTERYシリーズ

女性の活躍への貢献

実は私は、三つのライフワークとして、①FBの発展、②プロフェッショナルの育成、③女性の社会進出への「想い」、を抱いてきました。

「女性の活躍」では、14年WEF(一般社団法人ウィメンズ・エンパワメント・イン・ファッション)を設立。寺崎志野氏、生駒典子氏、故堀田瑞枝氏、信田阿芸子氏らの女性リーダーとプロボノで、「女性が自尊・自立、自信を持って達成感あるキャリア人生を創る」 ための、啓発・教育活動に取り組みました。意欲ある女性、心ある経営者には、〝女性が働くこと〟への考え方や実践で、貢献ができたと思っています。

WEF創立5周年シンポジウムでは、登壇いただいたファーストリテイリングの柳井会長兼社長が「海外の投資家に〝女性役員はいないのか〟と言われて恥ずかしかった」と述懐。間もなく同社は「女性管理職30%」の目標を1年以上前倒しで達成、まさに想いから未来を創った事例と考えます。

FB 60 年を振り返れば、本当に多くの方にご指導・啓発を頂きました。柳井氏からは、「僕が尾原先生の一番弟子です」とのうれしい言葉もいただきましたが、私自身も多くを学ばせていただきました。健康に感謝しながら、社会の役に立てる日々を過ごしたいと念じています。

 

■尾原蓉子(おはら・ようこ)

東大卒、米国FIT卒、ハーバード・ビジネススクールAMP卒。大学卒業後旭化成入社。ニットウェア商品開発、流行予測、マーケティングなどに従事。IFIビジネススクール創立に貢献し、学長を10年務めた。WEF(ウィメンズ・エンパワメント・イン・ファッション)設立など女性活躍支援にも注力。

繊研新聞<寄稿>「ファッション・ビジネス回想60年:その誕生・発展・変容と未来」㊤ ―米国に学んだ企業戦略の考え方      (IFIビジネススクール元学長 尾原蓉子)

今回は、「ファッション・ビジネス回顧録」旭化成FITセミナー 第5回の予定でしたが、繊研新聞への寄稿文を圧縮してご紹介します。

題して「ファッション・ビジネス回想60年—―その誕生・発展・変容そして未来」。今回は ㊤ の「米国に学んだ企業戦略の考え方」 です。

 ファッション・ビジネスという言葉が日本に登場して57年。筆者が翻訳・出版した『ファッション・ビジネスの世界』(1968年、東洋経済新報社)の原題〝Inside the Fashion Business〟の邦訳で大議論の結果、ファッション・ビジネスという〝新しい日本語〟が誕生しました。

旭化成FITセミナー ビジュアル・マーチャンダイジング

旭化成FITセミナー ビジュアルマーチャンダイジング実演風景(高島屋にて)

 留学先のニューヨーク(NY)のFITで、「目からうろこ」の衝撃を受けたこの本が説く米国の先端的ファッション・ビジネス(FB)を、日本にぜひ紹介したいと考えたのが1966年。以来60年間で日本のFBは目覚ましい成長を遂げ、世界をリードするデザイナーも登場しました。しかし今、かつてトップファッションやラグジュアリーに憧れた消費者が、580円の冷感Tシャツに価値を見いだし、100万枚を売り上げる時代になっています。

 FBはどう発展し、変化してきたのか? 誕生から今日までの軌跡を再考し、未来をどう創造すべきかを探りたい。というのが、この「寄稿」の目的です。

 きっかけは今春、母校FITの記念ガラ・イベントの一環で講演した際、「日本のFBの母、尾原蓉子が語るオーラル・ヒストリー(口述歴史)」が同校図書館のアーカイブに収録されたことです。感激したのは、筆者が「FIT卒業生で最も成功した一人。デザイナーでもなく、社長になったわけでもないが、FBのために市場を作り、産業を作った」とたたえられたことでした。

 伝統的なきものの世界から、洋服で劇的な発展を遂げた日本のファッション産業をFITは高く評価しています。その原動力は、日本の繊維ファッション産業発展へ貢献を惜しまなかった人々、旭化成や日本のファッション業界のリーダーたちの熱意でした。

『ファッション・ビジネスの世界』と「旭化成FITセミナー」の案内

 『ファッション・ビジネスの世界』は旭化成が「カシミロン」発売10周年記念事業として出版し、業界に大きな衝撃を与えました。既製服はサイズも未発達でイージーオーダーや仕立てが中心だった日本に、米国のファッショナブルな既製服が多様な体形やサイズで提供され、さらに「流行」のリスクを伴うビジネスで利益を上げる、という産業の仕組みや専門職などを紹介したからです。

 「米国の先端的FBを学びたい」との強い要請で、「旭化成FITセミナー」が業界に開放した形で始まったのは1970年でした。

 初年度は、FITの基幹3コース(ファッション・デザイン、アパレル生産工学、マーチャンダイジング/マーケティング)をそれぞれ4週間に圧縮し、講師には各学科長を招へい。カリキュラムはFBの基本と現場重視の専門的な実学(応用力、クリエイティブ発想、実習)が中心でした。

 「小売りのマーチャンダイジング/マーケティング」では、ダラー(金額)管理だけでなく、ユニット(アイテム)管理の概念、日本には無かったSKU(在庫最小管理単位)、すなわち単品管理、の重要性が強調されました。Open-to-Buy、Mark Up/ Mark Downなどの新しい言葉も紹介されました。 

 

「FB」の衝撃

  • 「FBの本質は変化」。しかし「基本(消費者起点の考え方)は不変」
  • 「FBは消費者に始まり、消費者に終わる」=小売りのレジが、ファッションの投票箱。業界全てが小売りを注視すべし
  • 「リスクなきところに利益なし」

 受講者はみな、進取の気性に富む企業の幹部や気鋭人材でした。その一人、保坂武雄氏(西武百貨店の元常務・池袋店長)は、「強烈なインパクトだった。〝ファッションは生活者の変化に沿って常にチェンジする、そのことは不変。しかし基本は変わらない〟。ビジネスも政治も同じ」と当時の感銘を語ります。

 セミナーの反響は大きく、テキスタイルやインテリアなど新規分野にも拡大。「ファッション・コーディネーション」や「トップセミナー」と広がるにつれ、講師もFIT教授陣から有力企業の幹部が中心になりました。

 例えば「テキスタイル・スタイリング」は、FITにはない講座でしたが、優れた技術をもつ日本の繊維産業の飛躍を願い、筆者が開発。垂直型テキスタイル企業ダン・リバーのクリエイティブ・ディレクター、E・ニューマン氏を招き、〝テキスタイル・スタイリングの7ステップ〟を実習中心の5日コースにして大好評でした。「商品ラインのコンセプト」「カラーストーリー作り」はその後の日本のスタイリングの基本になり、FITでも翌年、正規講座になりました。

旭化成FITセミナー テーマと講師

 

教育機関設立の機運

 日本のFBも大きく成長したと考えた旭化成は、10周年を機に、セミナーを終える予定でした。しかし、日本にもFITのような教育機関設立をとの機運が高まり、通産省の強力な継続要請もあって、最初の10年を第1期とし、その後は大学設立の進捗を見ながら、3年ごとに継続することになりました。最終的に「旭化成FITセミナー」は、第7期、つまり98年のIFIビジネススクール開校までの28年間、毎年続けて開催されました。

 10周年記念イベントは、FIT教育財団のトップ、 シャーリー・グッドマン女史を招き「産業教育に関する記念講演とパネル討議」を開催。通産省の栗原昭平局長、山中鏆氏ら業界リーダー8人が熱気あふれる議論を行い、旭化成の宮崎輝社長(当時)も熱心に聴講しました。

 『旭化成FITセミナー白書』も編纂、10年間の詳細な記録のほか、「産業教育への提言8か条」を発表。「真の産業教育は、業界主導であるべし」に始まる提言は、92年のIFI(ファッション産業人材育成機構)設立の基本理念になりました。

 

80年代の劇的変化

 日本の80年代は、FB高揚の時代。川久保玲や山本耀司がパリ・コレクション初参加で世界に「黒の衝撃」(81年)を与え、DCブームも拡大。日本のアパレル業界がニューヨークでJFF展(日本ファッション・フェア)を81年から3回開催しました。

 他方、米国のFB産業は成熟が進み、競争激化で市場セグメントも多様化、無店舗販売やオフプライスなど、新業態の台頭や専門化が目立っていました。

 「小売業の変革」と「FB地平線の拡大」をテーマとした第3~4期(83~88年)は、旭化成セミナーが日本のFBを変革したといえる講座が多く、講師にも米国人も驚く話題企業のトップが登壇しました。 

 

 「高級品のオフプライス百貨店」(84年)では、高級ブランドの最新商品を20~30%安く、ハイサービスで提供して注目を浴びた、コホーズのS・ジンマーマンCEO(最高経営責任者)を招へい。フェデレイテッド百貨店グループの優等生A&S百貨店の社長として、百貨店改革を考えたが意見が合わず、自らのマークアップを下げて顧客価値を高める「破壊型小売業」を作った氏が解説した百貨店の問題点は、全て日本に通じるものでした。 

 このコースには、ファーストリテイリング会長兼社長(当時、小郡商事)の柳井正氏やAOKI創業者の青木拡憲氏など100人超が参加されました。 

 

 「製造小売業・ベネトン」(86年)では、創業者ルチアーノ・ベネトン氏をイタリアから招へい。世界が注目していたのは、ニットウェアの糸から製品までの企画・生産・販売を一気通貫で行う垂直型経営、特に〝製品染め〟。流行(売上高)予測が最も難しい〝色〟の決定をギリギリまで遅らせるため、製品を生成り状態で在庫し、販売見通しがついた時点で、染色する手法で、ハーバード大学もケース(事例研究)に取り上げたばかりでした。

 

 85年には、革新的な考え方や手法で知られる高級専門店サックス・フィフス・アベニューの総合力を紹介したいと、3人の上級副社長を同時に招へい。マーケティング担当のP・ルブロング氏(博士号をもつ実務家)、MD担当のM・アーシャル女史、ビジュアルMD担当のB・ベンジオ氏が、担当分野と3部門の連動について講義。ベンジオ氏は実演研修を希望し、高島屋に協力いただき定休日に10坪(33平方メートル)の売り場を囲む3段の受講席を組み、110人が受講しました。

      サックス・フィフス・アベニューのベンジオ氏の実演研修(旭化成FITセミナー)

 

ハーバード式研修導入

 トップ向け本格的研修として、83年にハーバード式ケース手法による「経営戦略セミナー」も開始。同校で評判の竹内広高教授が講師で、毎回、大好評でした。

 ケース手法とは「経営に正解はない。あなたならどうする?」と、実際の企業事例を使って、データの分析や議論をし、経営力を研ぎ澄ます教育手法です。2泊3日の合宿でトップ同士の親しい交流会もありました。山中鏆氏、鈴木義雄氏、石原一子氏らそうそうたる方々が参加しました。

 特別講師の野中郁次郎氏からは、『失敗の本質』のほか、長年取り組まれていた「暗黙知と形式知」のSECIモデル開発の進捗(しんちょく)を毎年講義していただき、経営の哲学を学びました。

 

 米国の小売ビジネス激変を現地で見定めたいと、幹部向けNY研修も83年に開始。特に、プレミアム・アウトレットのはしり、Liberty Village(のどかな村の景観に仕立てたアウトレット)や、South Street Seaport(NY最古のウォーターフロント再開発)など、新たな体験型SCには胸が踊りました。

 

 89年には「FB:21世紀へ向けて」のテーマで記念フォーラムを開催。記念誌 『旭化成FITセミナー20年のあゆみ』は、J・ジャーナウ教授や主要講師からのメッセージ、コース・講師の詳細、『21世紀ファッション・ビジネスへの提言』(尾原)でまとめた135ページの力作で、表紙カバーに掲載された来日講師全員の顔写真は、米国業界人を驚かせました。

旭化成FITセミナー20周年記念誌

 

SPA台頭とQR

 日本も大きく変化していました。SPA(製造小売業)と呼ばれる企画・生産・販売を一貫する業態(製造小売業)が台頭。これに、米国で大旋風を起こしていたQRS(クイック・レスポンス・システム)の導入が加わり、80年代後半~90年代前半の日本のFB業界は、問屋依存から直販的ビジネス構築へ活発な動きを見せ始めました。

 QRSとは、米国業界がサプライチェーンの短縮化・スピード化のため、80年代半ばから始めたテクノロジー(バーコードなど)活用の業界共通の情報システムです。

 QRコースは、「25周年記念セミナー」として開始(94年)。全く新規の領域でしたが、86年から参加していたNRF(全米小売協会)での学びを基に構築。サックスのG・ミルソン氏やVFコーポレーションの幹部2人を招へい。3年継続し、IBMの岩島嗣吉氏やラルフ・ローレン、ベスト・バイの幹部、ハーバード大学のM・フィッシャー教授が最先端のQR概念やシステムを紹介。これを先駆的に活用したのはワールドの「オゾック」でした。

 ただ、日本ではクイック・レスポンスを文字通り〝即対応〟と解釈、QRを「期中対応」とする間違った理解が広がり、真のサプライチェーン改革に後れをとったのは残念でした。

 

 94年、ブルーミングデールズやウォルマート、スピーゲルの各CEOと著名アナリストのW・ローブ氏を招いた25周年記念シンポジウム「2001年へ向けて:ビジョンある戦い」のメッセージは「適者生存」。キーワードは「革新」「顧客」「人」。物作りで世界をリードする日本だが、小売り変革ではスピードが遅い。アフリカの草原で野生動物が毎朝繰り広げる「食うか食われるか」の戦いのスピードをもって走れ、とのゲキが飛びました。

 

28年のセミナーに幕

 IFIビジネススクール正式開校が98年と決まり、28年続いたFITセミナーの閉幕シンポジウムは97年、日本参入で元気なギャップ創業家の国際部門社長、サックスのCEOなどを迎え開催。情報技術でビジネスが急変する中、「全てが変わった」。成功のカギは、「顧客」「リスク・テイキング」「自分の運命は自分でコントロールせよ」のメッセージに、400人超の参加者はグローバル競争時代の到来を実感しました。

 28年で、延べ167講座、来日講師156人、受講者1万300人に及んだ「旭化成FITセミナー」は日本のFBの発展に確かな貢献をしたと自負しています。

 

 この小論を書くにあたり訪問したユニクロの柳井氏からは、「旭化成FITセミナーがなければ、今日のファーストリテイリングはなかった」との言葉も頂きました。熱心に取り組んで下さった講師陣と受講者、セミナー関係者に改めて心から感謝します。

                尾原蓉子さん

 

■尾原蓉子(おはら・ようこ) 東大卒、米国FIT卒、ハーバード・ビジネススクールAMP卒。大学卒業後旭化成入社。ニットウェア商品開発、流行予測、マーケティングなどに従事。IFIビジネススクール創立に貢献し、学長を10年務めた。WEF(ウィメンズ・エンパワメント・イン・ファッション)設立など女性活躍支援にも注力。

 

次回は、繊研新聞<寄稿>「ファッション・ビジネス回想60年:その誕生・発展・変容と未来」㊦――世界を知り、自社の強みを知る

           

【ファッション・ビジネス回顧録】  ― 日本のファッション・ビジネスの誕生・発展 と 旭化成FITセミナー <第3回>旭化成FITセミナー開講

<“ファッション・ビジネスの本質は変化”―開講初日の衝撃>

旭化成FITセミナー第1回は、1970年8月2日から4週間の会期でスタートしました。

 開催されたプログラムは、F.I.T.の主要3コースのエッセンス。すなわち、「ファッション・デザイン」、「アパレル生産工学」、「ファッション・バイイング&マーチャンダイジング」の3学科の講義1年分のコアを4週間に圧縮した内容でした。招聘した講師はそれぞれの学科長。圧縮したカリキュラムの策定には、日本FIT会(1969年設立の卒業生会)の杉本明子氏(ファッション・デザイン学科卒)と池田勝彦氏(アパレル生産工学学科卒)の協力を頂きました。ファッション・マーチャンダイジングは筆者(ファッション・バイイング&マーチャンダイジング学科卒)が担当しました。

 セミナーは帝国ホテルの宴会場で、3コース合同の開会式、閉会式。各コースの授業は、毎日、午前の4時間、宴会用小部屋を教室用に設営して、同時並行で行われました。

 

 

初日の最大のメッセージは

「ファッション・ビジネスの本質は変化。このビジネスで唯一不変のものは、それが変化し続けることである」

同時に、「しかし、基本は変わらない。」 も強調されました。基本とは、「このビジネスでは、すべては消費者に始まり、消費者に終わる。」という、“消費者起点”の考え方、そして「実学」における、基本と応用の“基本”でした。

第1回の受講者のほとんどが、これを強烈に受け止めたことが、アンケートに表れています。 

<各コースの主な内容>

 ■「ファッション・デザイン」 コース

このコースでは、ドレーピング(立体裁断)およびパターン・ドラフティングを中心とする、デザイナーのための 基本的かつ最も重要な技術の訓練。そしてデザイン活動のステップや、創造的デザイニングのアイディア手法を、実習を中心に学ぶものでした。

 参加者には業界リーダーと目されていた方も多く、そのひとり、(株)東京スタイルの技術・デザイン部長鈴木スズ氏(故人)は、「理論に裏付けられた実践教育が素晴らしい」、と高く評価され、毎日講義終了後、その日に学んだことを、自社にもどってスタッフに教えておられました。

■「アパレル生産」 コース

第1回セミナーでは「縫製工場の生産管理」と名付けられたこのコースの主な内容は、生産工学とは何かの概説に始まり、工程分析(タイム・スタディ、モーション・スタディなど)を基盤とするシステム作り、原価計算(生産管理、品質管理、人事管理)などでした。

■「ファッション・マーケティング・マーチャンダイジング」 コース

 米国のファッション産業の実態(産業構造など)の紹介からはじまるこのコースでは、“ファッションとは何か”を3時間半かけて考察。F.I.T.での定義である 「ファッションとは、ある特定の時期および場所において、多くの種類の人間が受け入れ、またはそれに従う衣服のスタイル(より広義に考えれば行動)の変化の過程の一連のもの」(『ファッション・ビジネの世界』)、についても、レクチャーとディスカッションが続きました。ファッションとは、“Way of Life”(生活の仕方)だとの見方も、この時すでに出ていたことを、いま改めて感銘ふかく思い出します。

 ファッション商品のマーケティングとマーチャンダイジングについては、その体制や販売在庫管理、仕入れの手法などの実務の詳細な講義がありました。「単品ベース」(「金額ベース」だけでなく)での在庫や販売管理の重要性、いわゆる「単品管理」という、当時の日本ではまだ一般的ではなかった基本概念、の重要性が強調されました。Open-to-Buy、Mark Up/Mark Down、といった、初めて耳にする多くの言葉も、新鮮な学びでした。 

<受講者の殺到と、セミナーの反響>

4週間のセミナーの参加料は、一人15万円と、当時としては高価なセミナーでしたが、参加希望者が殺到。各コース30名が定員でしたが、希望者全員を受け入れることが出来ず丁寧なおわび状を出した記録が残っています。(高価なセミナーと言いましたが、実は、膨大な配布資料(すべて邦訳)・同時通訳・昼食・懇親会などの経費、帝国ホテルの会場費、リサ―チに要する経費など、旭化成が負担した費用は膨大なものでした)。

とくに人気があったのは、No.3コースのマーチャンダイジングで、どうしても参加したいとの要望が多く、席の配置を工夫して39名を受け入れました。錚々たる参加者の顔ぶれには、伊勢丹 鈴木祥三氏、阪急百貨店 西村庄二氏、東急ストア 川島宏氏、(株)大賀 大賀啓三氏、(いずれも故人)、などのほか、西武百貨店の保坂武雄氏、の名前があります。

この回顧録を書くにあたって、西武百貨店取締役・池袋店長も務められた保坂武雄氏に「旭化成FITセミナー第1期生としての感想」を伺ったところ、「ファッションは生活者の変化に沿って常にチェンジする、そのことは不変。その通り実行しつくすこと。ビジネスも政治も同じ」との強いメッセージを頂きました。

セミナー終了後の反響は大きく、「理論と実践の融合」、それらが「すぐれたカリキュラムになっている米国の実態」などへの賞賛の声が高く、業界紙も相次ぎ参加者による座談会を開催するなど、しばらくは、ファッション・ビジネス・フィーバーの感がありました。 

<FITセミナー事務局の多様な準備業務>

米国のファッション・ビジネスの紹介・啓蒙は、カリキュラムを策定し、講師を招聘してセミナーを開催する、だけで済むものではなく、多くの準備が必要になります。

たとえば、受講者の理解を深めるため、「日米ファッション・ビジネス比較」小冊子の作成。(日米の経済力や国土、産業構造や商慣習の違いを対比する資料)。あるいは講義に頻発する専門用語集(マーチャンダイジング、マネジメント、トレンド、ファッドなどなど)。米国業界紙の主要記事を邦訳して参考資料とする、など。これらの資料は、テキスト(アウトライン)とともに、分厚いバインダーに入れて初日に配布します。このバインダーは、旭化成FITセミナーの名物になりました。

 通訳さんの特訓も非常に重要です。コースの目的や参加者の期待を共有する、専門用語の日本語訳を統一する、などのため、毎回、各コース別に3時間の事前ブリーフィングを行っていました。訳語統一では、たとえば 原語Sportswearはカジュアル、Collectionは商品ライン、とするなど、日本の業界特有の誤解を生まない訳語の使用を徹底しました。

これらの事務局スタッフの努力に加え、セミナー運営もすべて旭化成社員により行われましたから、このセミナーはまさしく旭化成の繊維事業部挙げてのプロジェクトでした。 

<旭化成FITセミナーは長期開催へ>

セミナーは、2年目から「パターンメイキング」コースを追加。3年目には、トップセミナーもスタート。1973年にはマーチャンダイジングを小売りとアパレルの2コースに分けるなど、業界の進化と要望にあわせて、どんどん拡大してゆきました。下の図に見るように、最終的には1997年まで継続、延べ168講座を開催する結果になりました。

1973年の石油ショックでは、原油価格が約4倍に高騰、素材メーカーの旭化成も大きな痛手を受け、FITセミナーの継続も危ぶまれました。しかし今野栄喜氏(当時繊維販売促進部長)の熱意と宮崎輝社長のビジョンのもと、継続が決定。そのためには、それまで広報活動として認められていた巨額な経費を削減し、セミナー開催の直接経費だけでも受講料でまかなうことを目標に、受講料も引き上げることに。当然ながら、それに見合う価値があるセミナーを企画することが新たに大きな課題となりました。

10周年を期して、“業界に開放したFITセミナー”を自社単独で実施する事は終わりにしたい、との考えが旭化成にはありました。しかし当時、F.I.T.のような教育機関を日本にも作るべし、との動きが活発になっており、通産省(現在の経済産業省)から、「日本にしかるべき教育機関が出来るまで、ぜひ続けてほしい」との要請がありました。それにより、最初の10年を第 I 期として一区切りし、その後は教育機関設立の進捗を見ながら、3年刻みで継続する、という方針が決まりました。結果的に旭化成FITセミナーは、上の図に見るように、第 VII 期まで、即ちIFIビジネススクール開校までの28年間、毎年続けて開催しました。

                                                                   (第4回に続く)