2013年 10月 の投稿一覧

<『ファッション・ビジネス』を振り返って③―グローバル人材育成のFIT・GFM コース>

 日本FIT会では、来る 11 月 19 日に、FIT大学院の 「グローバル・ファッション・マネジメント」 コースを紹介するインフォーメーション・セッションを、FITから2名の教授を招いて開催します。 対象は、留学でファッション・ビジネスのマネジメントを学びたい方、あるいは企業や大学で社員や学生のキャリア指導をされている方、です。

 テーマは 「ファッション・ビジネスのグローバル人材を育成するFIT――Global Fashion Management (略称GFM) コースで学べる事は?――」 。

 紹介するコースは、 『これからのグローバル時代に求められる企業幹部』 を育成する目的で設置された、世界でも類のないユニークな修士コース。ファーストリテーリング社(ユニクロ)が、留学奨学金を出しているコースでもあります。 カリキュラムは、ファッション分野でグローバルに活躍する人材に必要なマネジメント全般 (戦略やグローバル・マーケティング、ファッション・ブランド・マネジメント、ソーシングや財務、情報技術など) を幅広くカバー。 特に注目すべき事は、ニューヨークのほか、パリ、香港の3都市で、各2週間の集中セミナーが行われ、パリではラグジュアリー・ビジネス、香港では生産やソーシングを中心に学ぶ、極めて今日的、国際的、かつ立体的なものです。与えられる学位も MBA ではなく、MPS (Management for Professional Studies) というこれまたユニークなもの。世界から多様な人材が学んでいて、国際感覚を磨く意味でも、有効なコースです。

FIT/GFMインフォーメーション・セッションのご案内

  (詳細は、日本FIT会のホームページ:  http://fitkai.jp/pdf/4th_131009n.pdf をご覧ください。)

 日本のファッション・ビジネスにおける専門的人材の養成を振り返ってみると、先回書いた、ファッション・ビジネス誕生の初期段階では、まず「デザイナー」、ついで 「パターンメーカー」や「生産管理者」の育成が中心でした。 その後、既製服の拡大に伴い、新たなデザインを魅力ある商品ラインに組み立て、流行の波に乗りながらビジネスを回すマーチャンダイザー養成へのニーズが高まりました。さらに、ビジネスの成熟化に伴い、市場の動きとターゲット顧客を捉え、ブランドの魅力をアップする、マーケッターやファッション・コ―ディネーターの必要性が浮上します。また、商品の魅力だけで勝負するビジネスから、店舗でのプレゼンテーションが重要になって、ビジュアル・マーチャンダイザー、さらに最近になってからは、ブランディングを感性面からリードするクリエイティブ・ディレクターの必要性が叫ばれるようになりました。この間、工場の生産システムやコンピュータを活用したパターンメーキング、グレイディングや、ネットビジネスやソーシャル・メディアの拡大にからむ、ICT (情報コミュニケーション技術) などの技術系のプロフェッショナルも必要になりました。

 そしていま、ビジネスがグローバル化し、さらに激化する競争の中で、企業が勝利するためには、氾濫する製品や数多のブランドの中から抜きんでたアッピールを持つブランドの開発とマネジメントが不可欠になってきました。

 FIT の GFM コースは、まさしくこういったビジネスを展開できる人材の育成をめざすものです。新しい時代が求める、独自性と優位性ある商品、ターゲットとする顧客が価値を認める 『信頼される』 ブランドづくり、グローバルな競争力、そしてこれらを達成するためのICTの効果的活用、の能力です。 めったにない機会ですから、興味のある方の積極的参加を期待しています。

<『ファッション・ビジネス』を振り返って②――繊研新聞「私の歩み」に思うFBの変遷>

 「ファッション・ビジネス」の言葉の日本における起源を、先回書きました。

今回は、その進化と発展を大まかに振り返り、今、ファッション・ビジネスと人材育成に何が求められているかを見てみたいと思います。

日本の「ファッション・ビジネス」は1968年の拙著「ファッション・ビジネスの世界」が紹介して以来、高度成長の波に乗って、急成長しました。が、68年当初では、既製服は婦人服ではまだごく一部でサイズもほとんどがワンサイズだった、イージーオーダーが全盛の時代。そこで人気が出たのは、ニット。伸び縮みするのでサイズのカバー率が高いため、横編みのセーター類や丸編みの裁断ものが急成長し、「ニットブーム」と呼ばれたほどでした。繊研新聞の「私の歩み」(上)でも、ニット素材が得意のアクリル繊維カシミロンを使って、どんどん輸入される最新のニット機械で商品開発をした事が書かれています。  (カット「私の歩み」は、下記でご覧下さい)

https://docs.google.com/file/d/0BzE3RYNox6uLT3JtWVpQVXpLMGs/edit?usp=sharing&pli=1

 日本におけるファッション・ビジネスの進化と発展には、非常に興味深いものがあります。1950年代は、戦後の食うや食わず状態から復興し、「洋裁」が一般女性の間に広く普及し、百貨店が特別客を招いて開催するパリのオートクチュール・メゾン(デザイナー)のファッション・ショーに、憧れを掻き立てられた時期でした。次いで60年は、流行色とアクリルやポリエステルの新素材による新製品の開発とプロモーションが盛んでした。この時代、ファッションの主導権を握っていたのが、素材メーカーだったことも時代を特徴づけるものです。たとえば東レの「トニーザイラーの黒」(映画「黒い稲妻」で大ヒットしたオリンピック三冠王のスキーヤー)や「シャーベットトーン」のキャンペーンなどです。

 1970年代は、アパレル・ビジネスの急成長期。旺盛な消費者のファッション製品購買力に支えられ、アパレル製造卸は、2度の石油ショックにも、素材テキスタイル企業ほどの打撃をうけることなく、拡大しました。この時代は、流行としてのファッションを、いかに魅力的な商品ラインに組み上げ販売するかが重視されました。世界中の主要ブランドとのライセンス提携がどんどん行われ、日本のファッション化が進んだ時代でもあります。 80年代は、70年代から育ち始めたマンション・メーカーと呼ばれる小規模のクリエイティブ活動などが、いわゆるDC(デザイナー/キャラクター)ブランドに発展し、これを個性化が始まった日本の消費者が支持する中で、日本独自のブランドが生まれ、パワーを持ち始めた時代です。80年代初頭は、世界でも日本のデザイナー(川久保玲や山本耀司など)が、西洋社会のファッションの価値観を根底から揺さぶるコレクションを発表した画期的な時代でもありました。「黒やボロ」等と揶揄されながら、その新しいアプローチは世界に衝撃を与え、日本の存在をアッピールしたのです。1985年のプラザ合意による円高と、バブル経済の拡大で、海外の高級品の日本侵入も加速しました。

 1990年代は、前半はバブルのピークとその崩壊に、ファッション業界が揺れた時代。「価格破壊」が流行語になり、ディスカウント業態の台頭や、流通コスト削減とビジネスの一環コントロールを狙うSPA(垂直型製造小売業)の台頭。またIT活用によるサプライチェーン革新なども始まった時代です。 2000年代は、インターネットの普及によるネットビジネスが拡大。ファッションでは、グローバル化の進展に伴う、ラグジュアリー・ブランドの急成長やZaraやH&Mといったファストファッションが日本市場を席巻し始めました。 またファッションは、服だけでなく雑貨や食・住など、生き方(ライフスタイル)に広がり、日常化、民主化したのもこの時期です。ストリート・ファッションも力を持ち始め、いわゆる 「コレクション」や「クリエ-ティブ・デザイナー」のあり方、についても、議論がなされるようになりました。

2010年代は、2011年の東日本大震災が、生活者の意識と行動に大きなインパクトを与え、「生きることの意味」を再確認し、「人との絆」、「自然との共生」、「社会への貢献」、などが、新しい価値基準として重要性を持ち始めた時代といえるでしょう。2008年のリーマンショックが露呈したによる世界経済メカニズムへの懐疑、里山経済論などへの共感など、「お金儲け」の考え方も、変化しはじめています。 そして、モバイル(スマホやタブレット)の急速な普及とソーシャル・メディア(いわゆるSNS)により、生活者が「自らの情報収集や判断・行動を行う個客」として、これまでになかったパワーを発揮する、新しい時代が始まりました。

 この新しい時代に求められるものは、独自性と優位性ある商品、狙う顧客が価値を認める 『信頼される』ブランドづくり、グローバルな競争力、そしてこれらを達成するためのICTの効果的活用、です。 これはいずれも優れた人材に依存する部分が大きい事は言うまでもありません。

 11月19日に、FIT大学院のGFM(Global Fashion Management)コースを紹介するセミナー(無料)を、FITから2名の教授を招き、18時からユニクロの本社会議室をお借りして開催します。次回はそのコースの概要を通じて、いま世界的に必要とされる人材育成について書きたいと思います。