<“ファッション・ビジネスの本質は変化”―開講初日の衝撃>
旭化成FITセミナー第1回は、1970年8月2日から4週間の会期でスタートしました。
開催されたプログラムは、F.I.T.の主要3コースのエッセンス。すなわち、「ファッション・デザイン」、「アパレル生産工学」、「ファッション・バイイング&マーチャンダイジング」の3学科の講義1年分のコアを4週間に圧縮した内容でした。招聘した講師はそれぞれの学科長。圧縮したカリキュラムの策定には、日本FIT会(1969年設立の卒業生会)の杉本明子氏(ファッション・デザイン学科卒)と池田勝彦氏(アパレル生産工学学科卒)の協力を頂きました。ファッション・マーチャンダイジングは筆者(ファッション・バイイング&マーチャンダイジング学科卒)が担当しました。
セミナーは帝国ホテルの宴会場で、3コース合同の開会式、閉会式。各コースの授業は、毎日、午前の4時間、宴会用小部屋を教室用に設営して、同時並行で行われました。
初日の最大のメッセージは
「ファッション・ビジネスの本質は変化。このビジネスで唯一不変のものは、それが変化し続けることである」。
同時に、「しかし、基本は変わらない。」 も強調されました。基本とは、「このビジネスでは、すべては消費者に始まり、消費者に終わる。」という、“消費者起点”の考え方、そして「実学」における、基本と応用の“基本”でした。
第1回の受講者のほとんどが、これを強烈に受け止めたことが、アンケートに表れています。
<各コースの主な内容>
■「ファッション・デザイン」 コース
このコースでは、ドレーピング(立体裁断)およびパターン・ドラフティングを中心とする、デザイナーのための 基本的かつ最も重要な技術の訓練。そしてデザイン活動のステップや、創造的デザイニングのアイディア手法を、実習を中心に学ぶものでした。
参加者には業界リーダーと目されていた方も多く、そのひとり、(株)東京スタイルの技術・デザイン部長鈴木スズ氏(故人)は、「理論に裏付けられた実践教育が素晴らしい」、と高く評価され、毎日講義終了後、その日に学んだことを、自社にもどってスタッフに教えておられました。
■「アパレル生産」 コース
第1回セミナーでは「縫製工場の生産管理」と名付けられたこのコースの主な内容は、生産工学とは何かの概説に始まり、工程分析(タイム・スタディ、モーション・スタディなど)を基盤とするシステム作り、原価計算(生産管理、品質管理、人事管理)などでした。
■「ファッション・マーケティング・マーチャンダイジング」 コース
米国のファッション産業の実態(産業構造など)の紹介からはじまるこのコースでは、“ファッションとは何か”を3時間半かけて考察。F.I.T.での定義である 「ファッションとは、ある特定の時期および場所において、多くの種類の人間が受け入れ、またはそれに従う衣服のスタイル(より広義に考えれば行動)の変化の過程の一連のもの」(『ファッション・ビジネの世界』)、についても、レクチャーとディスカッションが続きました。ファッションとは、“Way of Life”(生活の仕方)だとの見方も、この時すでに出ていたことを、いま改めて感銘ふかく思い出します。
ファッション商品のマーケティングとマーチャンダイジングについては、その体制や販売在庫管理、仕入れの手法などの実務の詳細な講義がありました。「単品ベース」(「金額ベース」だけでなく)での在庫や販売管理の重要性、いわゆる「単品管理」という、当時の日本ではまだ一般的ではなかった基本概念、の重要性が強調されました。Open-to-Buy、Mark Up/Mark Down、といった、初めて耳にする多くの言葉も、新鮮な学びでした。
<受講者の殺到と、セミナーの反響>
4週間のセミナーの参加料は、一人15万円と、当時としては高価なセミナーでしたが、参加希望者が殺到。各コース30名が定員でしたが、希望者全員を受け入れることが出来ず丁寧なおわび状を出した記録が残っています。(高価なセミナーと言いましたが、実は、膨大な配布資料(すべて邦訳)・同時通訳・昼食・懇親会などの経費、帝国ホテルの会場費、リサ―チに要する経費など、旭化成が負担した費用は膨大なものでした)。
とくに人気があったのは、No.3コースのマーチャンダイジングで、どうしても参加したいとの要望が多く、席の配置を工夫して39名を受け入れました。錚々たる参加者の顔ぶれには、伊勢丹 鈴木祥三氏、阪急百貨店 西村庄二氏、東急ストア 川島宏氏、(株)大賀 大賀啓三氏、(いずれも故人)、などのほか、西武百貨店の保坂武雄氏、の名前があります。
この回顧録を書くにあたって、西武百貨店取締役・池袋店長も務められた保坂武雄氏に「旭化成FITセミナー第1期生としての感想」を伺ったところ、「ファッションは生活者の変化に沿って常にチェンジする、そのことは不変。その通り実行しつくすこと。ビジネスも政治も同じ」との強いメッセージを頂きました。
セミナー終了後の反響は大きく、「理論と実践の融合」、それらが「すぐれたカリキュラムになっている米国の実態」などへの賞賛の声が高く、業界紙も相次ぎ参加者による座談会を開催するなど、しばらくは、ファッション・ビジネス・フィーバーの感がありました。
<FITセミナー事務局の多様な準備業務>
米国のファッション・ビジネスの紹介・啓蒙は、カリキュラムを策定し、講師を招聘してセミナーを開催する、だけで済むものではなく、多くの準備が必要になります。
たとえば、受講者の理解を深めるため、「日米ファッション・ビジネス比較」小冊子の作成。(日米の経済力や国土、産業構造や商慣習の違いを対比する資料)。あるいは講義に頻発する専門用語集(マーチャンダイジング、マネジメント、トレンド、ファッドなどなど)。米国業界紙の主要記事を邦訳して参考資料とする、など。これらの資料は、テキスト(アウトライン)とともに、分厚いバインダーに入れて初日に配布します。このバインダーは、旭化成FITセミナーの名物になりました。
通訳さんの特訓も非常に重要です。コースの目的や参加者の期待を共有する、専門用語の日本語訳を統一する、などのため、毎回、各コース別に3時間の事前ブリーフィングを行っていました。訳語統一では、たとえば 原語Sportswearはカジュアル、Collectionは商品ライン、とするなど、日本の業界特有の誤解を生まない訳語の使用を徹底しました。
これらの事務局スタッフの努力に加え、セミナー運営もすべて旭化成社員により行われましたから、このセミナーはまさしく旭化成の繊維事業部挙げてのプロジェクトでした。
<旭化成FITセミナーは長期開催へ>
セミナーは、2年目から「パターンメイキング」コースを追加。3年目には、トップセミナーもスタート。1973年にはマーチャンダイジングを小売りとアパレルの2コースに分けるなど、業界の進化と要望にあわせて、どんどん拡大してゆきました。下の図に見るように、最終的には1997年まで継続、延べ168講座を開催する結果になりました。
1973年の石油ショックでは、原油価格が約4倍に高騰、素材メーカーの旭化成も大きな痛手を受け、FITセミナーの継続も危ぶまれました。しかし今野栄喜氏(当時繊維販売促進部長)の熱意と宮崎輝社長のビジョンのもと、継続が決定。そのためには、それまで広報活動として認められていた巨額な経費を削減し、セミナー開催の直接経費だけでも受講料でまかなうことを目標に、受講料も引き上げることに。当然ながら、それに見合う価値があるセミナーを企画することが新たに大きな課題となりました。
10周年を期して、“業界に開放したFITセミナー”を自社単独で実施する事は終わりにしたい、との考えが旭化成にはありました。しかし当時、F.I.T.のような教育機関を日本にも作るべし、との動きが活発になっており、通産省(現在の経済産業省)から、「日本にしかるべき教育機関が出来るまで、ぜひ続けてほしい」との要請がありました。それにより、最初の10年を第 I 期として一区切りし、その後は教育機関設立の進捗を見ながら、3年刻みで継続する、という方針が決まりました。結果的に旭化成FITセミナーは、上の図に見るように、第 VII 期まで、即ちIFIビジネススクール開校までの28年間、毎年続けて開催しました。
(第4回に続く)







